2009年03月01日

ジャン・フルネ追悼コンサート

2月26日(木)、池袋の東京芸術劇場で行われたコンサートに行ってきた。昨年11月3日の亡くなった都響名誉指揮者ジャン・フルネ氏を追悼するための追悼コンサートだ。急に決まったコンサートのため、割安のチケット価格にもかかわらずセールスには苦労したみたいだけど、当日は約9割程度の入りになった。

指揮:ガスパール・ブレクール=フルネ(ビゼー)
指揮:小泉和裕(ベートーヴェン)

ビゼー:交響曲第1番 ハ長調 
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」 変ホ長調 作品55

コンサートに先立ってフルネ氏の妻ミリアム・ジェイクス・フルネ夫人への名誉指揮者称号授与式。オケのメンバーも見守る中、鳥海理事長からミリアム・ジェイクスさんに称号が授与され、そして涙で言葉を詰まらせながらの挨拶は感動的だった。

当日配布されたプログラムには、フルネ&都響の演奏史が掲載されていたけど、ワタシがフルネ氏の演奏に初めて接したのはたぶん1988年の都響定期のハズ。そして、一番心に残っているのは1993年11月7日のブラームスの交響曲第4番、そして同年同月12日のドビュッシー「聖セバスチャンの殉教」だ。私の記憶のはにでは、この時期がフルネ&都響の絶頂期なのではないかと思っている。あの端正で気品あるブラームスの4番を超える演奏には、世界のどの指揮者・オケからも聴くことはできないだろうと思うし、あの官能的・神秘的な空気管を湛えた「聖セバスチャンの殉教」に出会うことはできないだろう。私の音楽人生の中で、フルネはとても大きな存在だった。

ビゼーの交響曲は、作曲者が17歳のときの習作。しかし、古典的な交響曲という様式の中にロマン派の楽想が満ち溢れ、雰囲気としてはストラヴィンスキーの古典交響曲を先取りしているとも言える。のちの管弦楽への萌芽を感じさせる作品だ。オケの編成は10型で、音楽の縦の線がきっちりと整った、恰幅の良い演奏だ。ビゼーだったら、もう少し流麗に指揮したほうが華やかな演奏になってウケルと思うけど、こういうスケール間がある演奏も悪くない。

後半のベートーヴェンは、オーソドックスな演奏。弦楽器のボウイングを見ても都響の気合の入れ方は尋常じゃないレベルだが、決して演奏は乱れない。第2楽章の葬送と、第4楽章の推進力あふれる演奏は聴き応えのあるものになった。

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2009年01月25日

梅田敏明&都響 日本管弦楽の名曲とその源流7

1月22日の定期は、都響がコダワリをもって取り組んでいる日本の作曲家の作品を取り上げその作品を取り巻くルーツを探るシリーズだ。なかなか観客動員が難しい取り組みではあるけれど、東京文化会館は大体7割程度の入り。定期会員の律儀な参加を得て、この選曲としてはスゴイ観客動員といえると思う。

指揮:梅田俊明
ピアノ:野原みどり

<日本管弦楽の名曲とその源流−7 プロデュース:別宮貞雄>
ダニエル=ルシュール:舞踊交響曲
矢代秋雄:ピアノ協奏曲
別宮貞雄:交響曲第4番『夏1945年(日本の挫折と復興)』

開演前に音楽評論家の片山杜秀氏の解説があって、3人の共通点はパリ音楽院で学んだことfだ。矢代と別宮は同時期にパリ音楽院に留学してメシアンらに師事したらしいが、そのメシアンとダニエル=ルシュールは同時代のフランスの作曲家だ。作風としては、なんとなくバルトーク風ということでも共通点があって、リズム感を基調とした音楽構成が息づいている。その一方で、フランス的な空気感、アンニュイなエッセンスは希薄だ。

正直言ってバルトークですら苦手系の作曲家なので、この日の作品が楽しめたかというと否定せざるを得ないが、別宮の交響曲の敗戦を描いた作品の描き方は興味深かった。一般的に敗戦は挫折として描かれ、暗い楽想で描かれるものと思い込んでいると、この曲を聞いて驚く。この曲で描かれる「敗戦」は、「解放」であり「自由」であり「可能性」として描かれている。戦争を体験した年代の人に聞くと「子供心に戦争が終わったことを知ったときには嬉しかった。喜んではいけなかったので顔には出せなかったけど、これで戦争が終わったんだと思ってホッとした」という言葉がでてくる。この作品のアプローチは、別宮だけではなく、当時の戦争体験者の共通の思い出なのかもしれない。

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2008年09月28日

マーク・ストリンガー&都響

9月26日(金)はサントリーホールで行われた都響の定期演奏会に行ってきた。今月の定期はAB両定期が同一プログラムであるにもかかわらず、チケットは完売。会場はもちろん満員となった。

出演者
指揮:マーク・ストリンガー
ヴァイオリン:オーギュスタン・デュメイ

曲目
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61
ブルックナー:交響曲第6番 イ長調 (ハース版)

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今回の定期の目玉は、やはりデュメイの登場だろうと思う。ずーっと以前、都響が創立20週年記念ということでヨーロッパ演奏旅行を行ったとき、フランスでソリストを務めたのもデュメイだったような記憶がある。ステージの登場した彼は、かなりの巨人だ。たしか身長は190cmを大きく超えていたはず。持っているヴァイオリンが子供用のスケールに見えるのが可笑しい。そこから奏でられるヴァイオリンの音色は、しっとりとした落ち着きのある美音だ。明らかにアメリカのジュリアード系の硬質な音色とは違い、艶やかで柔らかな音色は何よりの魅力だ。

しかし、この演奏が楽しめたのかというと、ちょっと違う。まずは演奏のテンポが遅すぎ・・・、たぶんこの遅めのテンポはデュメイの指示によるものなのだろうと思うjケド、音楽の流れが停滞していてベートーヴェンらしい様式感が感じられない。ディメイのソロも、自由奔放なテンポの揺らし方で、・・・・もしこれがヴァイオリンソナタやむ伴奏の曲だったら別の感想になるのかもしれないが、このテンポの揺らし方ではオーケストラとの噛み合わせが悪すぎる。終演後のカーテンコールは盛大だったので、私のような感想は少数派かもしれないけど。

後半のブルックナーは、たぶん実演でははじめて聞く曲だ。前半のベートーヴェンのテンポが遅かったので心配していたんだけど、後半はプログラムに記載されていた通りの57分でぴったりと演奏が終わった(爆)。曲全体の構成は、7番と似ていて、美しいアダージョが第2楽章に配置され、第3楽章がスケルツォなのも同じだ。しかし、親しみやすい旋律が多い7番と違い、6番は洗練されているとは言いがたい。そのあたりが演奏回数が少ない理由なんだろうけど、しかし、何回か聞くと滋味深いものがありそう。

演奏は好演。低弦が記帳となった重心が低いオルガントーンをベースに、大いなる賛歌を描き出す。ストリンガーは、なかなかオケの統率力もありそうで、聞きなじみの少ないこの曲を聴き応えのある演奏で聞かせてくれたと思う。

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2008年06月25日

ペンデレツキ&都響

今日は都響の文化会館定期。会場は、2〜5階がの空席が目立つが、全体では6〜7割程度の入り。東京文化会館としてはまぁまぁ、でもこの選曲を考えれば「盛況」といえなくもない(爆)。

指揮:クシシトフ・ペンデレツキ
ホルン:ラドヴァン・ヴラトコヴィチ

ペンデレツキ:弦楽のための小交響曲
ペンデレツキ:ホルン協奏曲『ヴィンターライゼ』(日本初演)
メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調『スコットランド』 op.56

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ペンデレツキと言えば、現代を代表する作曲家の一人なんだろうけど、どちらも面白い曲だとは思えなかったなぁ。もちろん、今回はじめて聞いた曲なので、何回か聞けば評価は変わるかもしれないけど。ま、どちらかといえば、ホルン協奏曲のほうがロマン派の雰囲気が感じられ、聞きやすい曲かもしれない。ヴラトコヴィチのホルンは久々に聴いたけど、やっぱり名手だ。ホルンの音の柔らかさ、多彩な音色、安定感は抜群だ。

後半のメンデルスゾーンは、ちょっと個人的な好みには合わない演奏だった。まるでブラームスの声色を使ってメンデルスゾーンを演奏しているような感じで、重量感があってテンポは遅め。言い換えれば、重苦しく鈍重な演奏で一本調子、それに加えて音場の見通しが良くない。マジで、メンデルスゾーンの旋律の中からブラームスの響きが聞こえてくる感じで、どうも居心地の悪い演奏だった。個人的には、もっと明晰で見通しのいいメンデルスゾーンを聴きたかった。

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2008年06月17日

ポール・ワトキンス&都響

今日は都響のサントリー定期。会場はちょっと空席は目立つけど、それでも8割程度の入り。まだ日本では無名の指揮者、この選曲の割には、お客が入った方かも。

出演者
指揮:ポール・ワトキンス
ピアノ:中野翔太

曲目
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 op.54
エルガー:交響曲第3番 ハ短調 op.88(Anthony Paynによる完成版)

前半は、シューマンのコンチェルトで、新鋭ピアニスト中野翔太の登場。最初は、ピアノの音色もいまひとつで、オケの密度感の乏しい音が気になったが、第三楽章になるといずれも改善されて、最後は帳尻をあわせた感じ。ただ、ピアノの歌い回しも、ちょっとぎこちなさが目立ち、表面的な音楽に終わってしまった感じが否めない。

後半は、エルガーの未完の交響曲を、アンソニー・ペインが補作したもの。部分的にはエルガー的な旋律が垣間見えるが、「エニグマ変奏曲」や「威風堂々」と同じ作曲者ということをイメージして聴きに行ったとしたら、いささか面食らうに違いない。残念ながら、聴き終わって耳に残るような印象的な旋律はなく、主題の変奏も単調で、・・・・少なくとも私が聞く限りにおいては退屈な曲という感想にならざるを得ない。その割には、終演後にブラボーの声が飛び交ったが、・・・・ホントにいい曲でしたか?という感じ。まぁ、1回聴いただけで結論を出すのはキケンだが。

その中で、唯一?の救いだったのは、都響の演奏だ。とっても丹念な演奏で、ほとんどミスらしいミスもなく、ワトキンスの指揮に応えきった。はじめて聴いた曲で、この指揮者の力量を図ることは難しいが、この演奏から推察すると、かなりの力量の持ち主だと思う。次回、聴く機会があれば、ベートーヴェンやモーツァルトなどの古典の演奏を聴いてみたいものだ。

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2008年05月15日

フルシャ&都響の「ロミオとジュリエット」

5月14日の都響サントリー定期演奏会は、新鋭ヤクブ・フルシャの指揮だ。1981年生まれということだから、まだ26歳くらい。オケの指揮者として、めちゃくちゃ若い。そして、ソリストのガブリエル・リプキンも1977年生まれだから30歳。チェリストとしてもかなり若い部類だ。、今シーズンの都響定期は若手音楽家を登用することが多いが、こういったフレッシュな顔ぶれが楽しめるのもワタシ的には興味深い。

会場は8割弱の入りという感じで、少し空席も目立ったけど、今夜の定期を聴き逃した人はちょっと後悔するべきだと思う。このフルシャという人、これから注目すべき指揮者になるかもしれないからだ。特にプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」は絶品! 組曲の順序にこだわらずに、ストーリーに沿った曲順に組みなおしたのは、バレエ・ファンには嬉しい配慮。もちろん演奏も素晴らしい。オケピットで演奏される「伴奏」とはレベルが全く違う演奏で、プロコフィエフの曲の良さが際立つ。

序曲の弦楽器の音の豊潤さ、バルコニーに場面のデュエットの情景のロマンティシズム、ダイボルトの死のダイナミズム、そしてロメオとジュリエットの死の抒情性、どれをとっても高水準の完成度。フルシャの指揮には、迷いは全くなく、見事な統率力で悲劇のストーリーを再現していく。プロコフィエフらしい鋭角的な音楽は影を潜めてしまったので、その向きを期待していた人からはちょっと不満があるかもしれないけど、音色の豊かさ、しなやかな美しさでは申し分ない。これで26歳、・・・これからの活動はホントに注目するべきだと思う。

順序は逆になってしまったが、前半はスメタナの「売られた花嫁」序曲と、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲。スメタナは急ぎすぎの感があり、ちょっと退屈。そして、チェロ協奏曲はいささかテクニックに頼りすぎた演奏で、個人的には好みではない。この曲は、実直、剛直に演奏すれば素直に良さが伝わる曲なのに、なんか妙な表情を付けようとして失敗しているような感じなのだ。ただし、このリプケンというチェリスト、テクニック的にはタダモノではない。

アンコールにはバッハの無伴奏チェロ組曲第3番ブーレと、リプケンが編曲したデュポールのエチュード第7番、そしてポール・ベン・ハイムの「slow」という3曲も演奏したのだが、演奏スタイルの好みの問題は別としてもバッハの無伴奏は軽妙に弾きこなす。デュポールのエチュードは、ひとりで弾いているとは思えないようなテクニックを披露して会場を沸かせていた。まぁ、音楽的にはともかく、見世物としては面白いカモ。このアンコールのおかげで、終演は9時15分。カーテンコールは延々と続いたが、帰路を急ぐ人も多かった。

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2008年04月30日

インバル&都響の「千人の交響曲」

マーラーの交響曲第8番は「千人の交響曲」と呼ばれている。初演時、合唱、ソリスト、オケを合わせて千人以上がステージの乗って演奏したことから、そういったニックネームがついたのだが、それゆえスケールの大きな曲というイメージが強い。私自身は、この曲を10回程度はナマで聴いてきたはずだけど、中にはこの曲のスケール感だけに注目が行ってしまうような演奏もあった。確かに、この曲は指揮者にとっても難しい曲だと思う。今から10年ほど前、インバルが都響を振った時の演奏も今一つ感心しない演奏だった。すでに断片的な記憶になってしまっているけど、テンポを必要上に揺らし、オケがついていくことができずに破綻した部分が目立った演奏になってしまった記憶がある。そんな記憶がある私は、あまり期待しないでサントリーホールに向かった。

指揮:エリアフ・インバル
ソプラノ:澤畑恵美
ソプラノ:大倉由紀枝
ソプラノ:半田美和子
メゾソプラノ:竹本節子
メゾソプラノ:手嶋眞佐子
テノール:福井敬
バリトン:河野克典
バス:成田眞
合唱:晋友会合唱団
児童合唱:NHK東京児童合唱団
合唱指揮:清水敬一
児童合唱指揮:加藤洋朗

会場はほとんど満員。Pブロックはもちろん合唱団で、オトナの合唱が約200人強、ステージ上の少年合唱は120人くらい。そしてオケ+バンダとソリストで150人くらいかな?、あわせて500人の交響曲。こんにちの交響曲第8番の演奏としては、標準的な人数だろう。

そしてインバルのマーラーは、12年前とどう変わったのだろうか。結論から言うと、今日の演奏は実に美しかった。この曲がこれほど美しいと思ったのは2004年5月のベルティーニ&都響の神懸かり的な演奏(横浜公演)以来だ。インバルとベルティーニでは、もちろんアプローチが違う。インバルはやっぱり通常のテンポでは演奏しない。第一部は異常に速い部分があっていささかヤリスギの感は否めないのだが、反対に第二部ではたっぷりと旋律を歌わせた演奏で、その対比によって後半の演奏が美しく浮かび上がった。特にテノールによるマリア崇拝の博士以降の美しさといったら、何に喩えたらいいだろう。ヴァイオリンが描き出す主旋律の繊細さは、室内楽的な美しさである。12年前の演奏よりも、はるかに素晴らしい演奏だ。

今日の演奏は単なるダイナミックな演奏ではなく、むしろ繊細さ、室内楽的な美しさを描き出すために壮大なパートがあるのではないか、・・・そう思った。これまで聞いたマーラーの交響曲第8番の中で、最高の演奏ではなかったけれど(やっぱベルティーニだ!)、それに次ぐ最上の部類の演奏であったことは間違いない。終演後、カーテンコールは延々と続き、オーケストラがステージを引き上げても拍手は鳴りやまない。インバルはステージに二度も呼び戻された。都響の素晴らしい演奏にも、改めて拍手を贈りたい。そして、きれいに揃えられた少年合唱、晋友会もレベルが高い合唱を聞かせてくれたことに感謝したい。

なお、バンダはLC・RCブロックの後ろに配置され、栄光の聖母の独唱はLBブロックの後ろだった。特に栄光の聖母の美しい歌声は印象的だった。

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2008年03月27日

桜が咲いたヨ・・・・・デプリースト&都響

3月26日は常任指揮者としてのデプリーストが振る、最後の都響「定期」だ。夕方の6時過ぎにアークヒルズ近くの地下鉄の駅から外に出ると、桜の花が出迎えてくれた。もう満開といってよいくらいの華やかさだ。夕暮れの中でもライトアップされた桜は、とてもきれいだ。

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写真は、Canon IXY Digital 900、手ぶれ補正は効いているんだけど。かなり暗かったし、風もあったので多少ブレているけど、どんな光源でもそれなりにきれいに写るカメラだ。

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さて、本題。プログラムは下記のとおり。よく言えばバラエティに富んだプログラムだけど、正直に言えば何に脈絡も感じないプログラムだ。

ペルト:弦楽器と打楽器のための『フラトレス』(1991年版)
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調『トルコ風』K.219 (Vn.矢部達哉)
R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』op.20
ヒンデミット:交響曲『画家マチス』

ベルトの「フラトレス」は、弦楽器の寂しげな旋律を繰り返される中で、ppから次第に弦楽器の音が積み重なって大きくなっていく。面白い曲だが、あまりに単純すぎて何回も聴きたいとは・・・・思わないカモ。2曲目はコンマスの矢部達哉によるモーツァルトのコンチェルト。矢部のヴァイオリンも、音が厚くなったなぁ。以前は音はとてもきれいなんだけど、ボリュームが小さくてソリスト向きじゃないんじゃないかなぁ・・・・と思った頃もあったけど、このモーツァルトを聴く限りそんなことは全く感じさせない、堂々としたソリストぶり。小編成のオケとともに、密度の高い音楽を作り上げていた。

後半は、大編成のオーケストラ曲が2曲。やはり都響らしく、高密度な弦楽器の美しさがイイ。ただ、「ドン・ファン」は、もう少し遊び心が欲しかった感じ。「画家マチス」は、ダイナミックレンジの広さが際立つ演奏で良かったけど、・・・・この曲、そんなに好きな曲でもないんで、あんまり感動という感じには至らなかった。それでも、デプリースト&都響のひとつの到達点である演奏だったことは確か。

このコンビによる演奏は、30日にプロムナードコンサートが予定されているが、残念ながらチケットは売り切れらしい。ちと残念。

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2008年03月17日

デプリースト&都響のショスタコ「1917年」

都響の常任指揮者を務めてきたデプリーストが、今月の演奏会をもって退任することになった。その、3月の演奏会の最初となったのが今日の東京文化会館のAシリーズ。会場は8割強の入りで、この会場、この曲目としてはかなりの大入りと言って良いのでは。

ハイドン:交響曲第44番「悲しみ」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番(pf:児玉桃)
ショスタコーヴィチ:交響曲第12番「1917年」

前半は古典のプログラムで、デプリーストが就任当時、オーケストラ・ビルディングのためにこだわっていたハイドンの交響曲。弦楽器は、1stVn 12人の中規模の編成で演奏した。弦楽器が優秀な都響らしく、光沢感があり、密度の濃い音色は魅力的。モーツァルトのコンチェルトも第1・3楽章の明るさ、第2楽章の憂いがきれいに浮かび上がった好演だったけど、個人的にダントツだったのが後半のショスタコ。

デプリーストのショスタコはかねてから評価が高かったけど、今日の交響曲第12番も、その評価に違わぬ名演奏。この曲は、1917年のロシア革命を描いた標題音楽で、社会主義リアリズムを体現したかのような単純明快な音楽だ。まるで、ロシア革命の無声映画の伴奏音楽として書かれたのかと思うほどだ。ショスタコの中では評価が分かれる曲らしいけど、その音楽を聴けば一目瞭然・・・明らかにショスタコーヴィチの音楽的個性に満ち溢れている。

デプリーストはその曲を、ダイナミックかつ明晰に描いて見せた。明快なリズム感、クレシェンドに至るまでの瞬発力はダイナミックレンジを広く描き出し、1917年の革命をドラマチックに描き出す。まぁ、ショスタコ自身が1917年の革命にどのような評価をしていたのかは知るすべもないけれど、やはり彼の作曲した音楽は魅力にあふれている。そしてさらに特筆すべきは、都響の熱演だ。指揮者・オケ・選曲のすべてが高次元で昇華された名演奏。満足な一夜だった。

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2007年12月20日

インバル&都響 「悲劇的」

事実上のインバル披露演奏会(笑)となった12月の都響定期。19日のサントリーホールでは、Aシリーズの交響曲第7番「夜の歌」に引き続き、マーラー交響曲第6番「悲劇的」が演奏された。チケットはもちろん完売となり、会場は満員となった。

インバルと言えば、エポックメーキングとなったデンオンのマーラー交響曲全集が有名だ。おりしのマーラーブームに、高音質の録音とあいまって、インバルの名は一躍有名になった。フランクフルト放送響とのコンビで来日した講演も語り草になっており、私も「復活」などを聞いたけど、その完全主義的な演奏に舌を巻いた記憶がある。しかし、彼の実演のマーラーは、録音のそれとは一味違う。インバルの実演によるマーラーは、アグレッシブであり、実にダイナミックだ。そして、マーラーの分裂的な音楽を、より強調するかのように分裂的に描き出す。

一方、インバルの後に都響でマーラー全曲を振ったベルティーニの場合、マーラーの分裂的な部分がまるで一人の人間の感情を描き出すかのように、説得力をもって、統一的に描かれるのとは対照的だ。インバルは、分裂を分裂としてあぶりだし、それをも強調するのだ。昨日の「悲劇的」を聞いて、その思いを新たにした。インバルのタクトから描き出されるマーラーは、ありのままのマーラーの姿なのかもしれないが、やはり分裂的だ。

都響とのコンビネーションは、「夜の歌」を聞いた時よりも進化していて、ハイテンポなインバルのタクトに喰らいついていく。音場の透明感に欠ける部分があったのはちょっと残念だったけど、都響ならではのハイレベルな演奏を聞けたと思う。インバル&都響の最強の演奏と言えば、あのCDにもなったマーラーの交響曲第5番の演奏だ。まだまだあのレベルには到達していないと思う。あのような演奏を、またこのコンビから聞いてみたいものだ。

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2007年12月15日

インバル&都響 「夜の歌」

12月14日の金曜日、来シーズンから都響のプリンシパル・コンダクターに就任するインバルのコンサート。かつては毎年1回の頻度で都響を振っていたインバルも、都響には久しぶりの登場となる。すでに都響のカオになることが発表されているので、なんとなく「事実上の就任披露演奏会」みたいな雰囲気が漂い、東京文化会館にも関わらずチケットはソールドアウト! 5階のサイドまで聴衆でいっぱいになった。

曲目は、インバルの代名詞ともいうべきマーラー、そのレパートリーの中から最もマニアック?とも言える交響曲第7番「夜の歌」をセレクトしてきた。演奏のほうは、全体的にはかなり元気な感じの演奏。ピアニッシモも磨きこむ演奏というよりも、フォルテ方向を拡大してダイナミックな演奏を目指した感じだが、各パートのつながりや音量のバランスの齟齬がチラホラと露呈してしまった感じだ。たぶん、もう一度、同曲の演奏の機会があれば改善されるんだろうけど、この日に限ってはマーラー独自の緊迫感はあまり感じられなかった。

もちろん、熱演だったことには間違いなく、都響の特徴である弦の美しさはもちろん、トランペットをはじめとする金管も良かった。迫力ある5楽章の演奏が派手に終わって、終演後には盛大なブラボーの声が飛んでいたけど、インバル=都響のコンビが、あの黄金期のフランクフルト放送響のような・・・・そこまで高いレベルに到達できるのかは別にして、そういったコンビネーションの成果を現すまでにはもう少しの時間が必要だと思う。

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2006年02月07日

トゥルトリエ&東京都交響楽団

 今日はサントリーホールで行われたトゥルトリエ&都響の定期演奏会に行ってきた。リストのプレリュードとバルトークのVa協奏曲
(独奏:ブルーノ・パスキエ)、オーケストラのための協奏曲というプログラム。客席はちょっと空席が目立って、7割弱といった感じ。


 演奏順とは関係なく書くけど、良かったのはオケコン。ワタシ的に苦手なバルトークの中では、
比較的聞きやすい曲ということもあるんだけど、聞き終えて満足。ダイナミックレンジの広さ、寒色系の音、切れ味の良い弦楽器、
金管ではトランペットとホルンが健闘して、なかなか良い演奏だった。終演後のカーテンコールもおおいに盛り上がった。
トゥルトリエを聞くのは3年ぶりだけど、色彩感豊かなプログラムを演奏させたら、面白い指揮者である。ぜひ、
定期的に都響の指揮台に立ってほしいものだ。


 反面、前半のプレリュードは、ちょっと退屈な演奏。ヴィオラ協奏曲の独奏は、音色はきれいなんだけど、
音程などにちょっと難がありそう。決して悪い演奏じゃないんだけど、欝っぽくて個人的に好きな曲じゃやないんだよね〜。

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2005年05月20日

デプリースト都響常任指揮者就任

 5月の都響定期は、デプリーストの常任指揮者就任披露演奏会である。ベルティーニが死去し、フルネも引退を発表、
今後の都響の看板を背負って立つのはこのデプリーストの他にない。そのスタートに選曲されたのはマーラーの交響曲第2番。
当日券売り場には列が出来て、客席は満員になった。


 開演時間が近づき、ステージに団員が席に着き、コンマスの山本がチューニングを指示する。
そしてデプリーストが電動車椅子でステージに現れ、スロープから指揮台に上り、客席に挨拶する。そしてオケのほうに振り向くと、
電動車椅子は高く上がる。これは指揮者用の特注の車椅子なのであろうが、よくぞこの小さい車椅子にこれだけの機能を詰め込んだものである。
デプリーストは両手を広げ、音楽が鳴り始めた。


 デプリーストが指揮をするとき、都響の音は大きく変わる。もともと都響の弦楽器は、硬質で透明感のある音が魅力だが、
デプリーストの指揮だと線が太くなり、銃身がやや低くなる傾向がある。この日の都響も、そのデプリーストの特徴が現れていたが、
この音色は都響ファン暦が長ければ長いほど好みが分かれるかもしれない。そしてデプリーストの描き出すマーラーは、まさしく「分裂的」だ。


 いわゆるマーラー指揮者と呼ばれる人、・・・
たとえばバーンスタインやベルティーニが振ったマーラーだと分裂的な楽想を見事に一本の糸で紡ぎあげ、ひとつの音楽像、
というか精神性を描き出す。しかしデプリーストのマーラーは、分裂的な楽想を「分裂」的に描き出す。
楽想が変わるところでひとつのストーリーがピリオドを打ち、また新たな楽想に移るのだ。マーラーの音楽を一本の糸で紡ぐのではなく、
様々な色の糸を使い、結果としてパッチワークのような音楽を描き出す。
都響は日本のオケの中ではもっとも豊富なマーラー演奏の経験値を持っていると思われるけど、
たぶんその40年の歴史の中では経験したことのないマーラーだったと思われる。


 それゆえだろうか、個人的にはやや退屈なマーラーだった。確かに都響は若干の粗はあったとしても懸命な演奏だったと思うし、
ダイナミックレンジの広さも存分に感じさせてもらったのだが、結果的にそれ以上のものはなかった様な気がするのである。
音楽の統一感が乏しく、不連続性が集中力を削いでしまった。カーテンコールは大いに盛り上がり、ブラボーの声も多かったけど、
私は音楽的には満足できなかった。あの奇跡的なベルティーニ&都響のマーラー9番と比較するのは酷かもしれないが、
あの水準には遠く及ばないのである。


 たぶん、デプリーストは私が期待するようなマーラー指揮者ではない。しかし、
今後のスケジュールを見るとショスタコーヴィチなどは大いに期待してよいのではないだろうか。
デプリーストが都響に新たなレパートリーを加えてくれるのを期待したい。

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2005年05月19日

ジャン・フルネが指揮者を引退!

 報道によると、
ジャン・フルネは、今年12月の都響定期を最後に指揮者を引退することになったらしい。びっくり&残念だが、
健康上の理由で演奏会をキャンセルすることが増えてきているので、潮時なんだろうなぁとは思う。


 フランス音楽では他の追随を許さないセンスを光らせ、水彩画的な色彩感、繊細な筆致で描かれる音楽世界は、
他の指揮者では得がたいものだった。特に都響とのコンビでは数多くの名演奏を残してきたフルネが、
最後の演奏会に選んだのが都響の12月の定期演奏会である。これは必ず聞いておきたいコンサートだ。

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2005年03月24日

スティーブン・スローン&都響(A定期)

 都響音楽監督のベルティーニが3月17日に急逝し、
直後の都響の演奏会は19日の作曲家の肖像シリーズだった。その日はチケットを買ってあったものの、
都合により友人に譲ってしまったため行くことは出来なかったが、伝え聞くところによれば、
ショスタコーヴィチの8番は尋常ならざる緊張感に包まれた名演奏だったとのことである。その時の指揮者はスティーブン・スローン。
プログラムに記載されていた経歴によると、ベルティーニに師事した経歴の持ち主だ。
そのスローンが指揮する都響の文化会館定期が25日に開催された。プログラムの一部が追悼のために変更され、
ロビーにはベルティーニの写真も掲示された。



  • マーラー:交響曲第5番から第4楽章アダージェット

  • ウォルトン:ヴィオラ協奏曲(Vn:タベア・ツィンマーマン)

  • ベートーヴェン」:交響曲第7番


 マーラーの「アダージェット」は、ベルティーニの追悼のために変更となった曲である。ステージ上は緊張感に満ちた演奏だったが、
客席は遅れて入ってきた客が多く、なかなか演奏に集中することが出来ない。こういう静かな曲を最初に演奏することの難しさを感じた。
続くウォルトンのヴィオラ協奏曲は、スローンのパートナーであるタベア・ツィンマーマンの登場。聴きなれない曲ということもあって、
ぼけーっと考え事をしながら聴いてしまったためコメントはパス。でもカーテンコールは盛り上がって、アンコールに2曲もサービスしてくれた。


 さて、問題はベートーヴェンの7番。これは、なかなか難しい曲である。スローンは、
遅い立ち上がりから巨匠的な恰幅の良い演奏を目指していたのだろうと思うけれど、結果的には失敗だったと思う。
たしかに縦の線はぴたりと揃い、オケから醸し出される音の厚みも音色も素晴らしいものだったが、いかんせん音の横の繋がりがない。
特に1〜2楽章は、音楽がぜんぜん流れていかないのである。ベト7での典型的な失敗例だ。3楽章以降は、
多少はスピードアップして音楽の流れが改善したけれど、それでも本質的な欠点が解消されたわけではない。


 とは言え、国内随一の弦楽器を誇る都響だけあって、弦の厚みと音色の輝きは申し分ない。
単に厚みだけだったらN響や読響の方が上かもしれないが、多彩な音色も加味した評価だと、私は都響が最強の弦だと思う。
やや残念なコンサートだったけど、オケのアンサンブルは素晴らしかったことは特筆しておきたい。

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2005年01月27日

指揮者のいない演奏会〜都響第601回定期演奏会〜

 今日(=昨日)は、仕事が終わるのが押してしまったため、オフィスを出て、大通りまで歩き、
そこからタクシーで赤坂に向かった。車を降りて、サントリーホールの前に到着すると、大きな張り紙が掲示してあり、
人だかりがある。ピン!と悪い予感がした。人垣の隙間から文字を読むと、そこにはこう書いてあった。


1月26日当楽団第601回定期演奏会(サントリーホール)に出演を予定しておりました指揮者ジャン・フルネは、
過労による高血圧のため、25日夕刻、医師より安静を要するとの診断を受け、出演が不可能となりました。・・・今回の定期演奏会では、
演奏機会の稀少なデュカス『交響曲』の練習を通して、
当団がフルネ氏から受けとった音楽の真髄をそのままお伝えしたいという思いが止みがたく、極めて異例なことではございますが、
あえて代理の指揮者を立てず、下記の曲目を指揮者なしで演奏することといたしました。・・・《変更後のプログラム》モーツァルト:
ピアノ協奏曲第23番イ長調 (ピアノ:伊藤恵)、デュカス:交響曲ハ長調
」。


 私も数多くのコンサートに出かけて、いろいろなハプニングに立ち会ってきたけど、
結果として指揮者なしのコンサートの場に立ち会ったのは初めてである。しかし、本番前日の夕刻に倒れたとあれば、
代役をたてることは事実上無理だろう。ましてや、珍しいデュカスの交響曲となれば尚更である。ホールに入ると、観客は8割強の入り。
開演のベルが鳴り、場内にアナウンスが流れる。ステージに現れた理事長代行がマイクを取り、今回の経過を説明すると、
会場は暖かい拍手で包まれた。そして楽団員がステージに登場すると、一斉に大きな拍手が起こる。「指揮者なし」
という困難な事態に直面するオーケストラを激励する拍手である。


 モーツァルトのピアノ協奏曲は、ゆったりした感じの出だしで、暖かい音色が広がる。ソリストの伊藤恵も、オーケストラとアイ・
コンタクトして、タイミングを確認しながらの演奏である。アンサンブルの上では指揮者不在による不安はまったく感じさせないが、いかにも
「安全運転」という雰囲気を漂わせる。習字で例えるなら、丁寧な「楷書」書きような演奏だ。
それでも楽章が進むにつれて音楽の流れもスムーズになり、モーツァルトらしい流麗な響きが随所に現れるようにもなってきた。これはこれで、
緊張感の感じられる、良い演奏である。


 後半は、珍しいデュカスの交響曲。ふたたび楽団員が登場すると拍手が巻き起こる、
ステージ中央にはいつもどおり指揮台が設置されているのだが、そこに指揮者がいないと二管編成でも、
とても大きな編成のオーケストラに見えるのは不思議だ。コンマスの山本友重が、
オケ全体のタイミングを合わせるように大きなアクションでボウイングして、音楽がスタートする。私自身、
デュカスの交響曲を聴くのは初めてだと思うけど、創造以上に良い曲である。「魔法使いの弟子」のように色彩感豊かで、
面白い曲かと思って聴くと、雰囲気が違うので面食らうかもしれない。たぶん、何も知らないでこの曲を聴いたら、
フランスの作曲家が書いた曲だと当てられる人は少ないかも、・・・と思うほど、ドイツ・ロマン派の雰囲気を携えている。
起伏の大きい両端楽章に加えて、耽美的な雰囲気さえ感じさせる第二楽章も聴き応えがあり、これはもっと演奏されてしかるべき曲ではないか。


 そして演奏のほうは、指揮者不在とはまったく感じさせないほど、堂々としたものだった。
演奏会前日である25日の夕刻まではフルネのもとで練習を積んでいたのだから、
基本的にはデュカスの交響曲はすでにオケの手中に入っていたんだろうと思うけど、それに加えて指揮者なしで演奏するプレッシャーが、
良い意味での緊張感となって音楽に結実したんじゃないだろうか。初めて聴く曲だけに他の演奏と比較することはできないし、
ハプニングゆえの過大評価なのかもしれないが、この演奏は本当に「感動的」だった。最後の余韻がホールに消えると、
一斉に大きな拍手とブラボーの声が巻き起こる。コンマスの山本が、拍手に応えてオケを立たせる。指揮者が出入りしないので、
カーテンコールという感じにならないのが変なのだが、このシーンも感動的で印象深い。オケがステージを去っても拍手が続き、
再び山本がステージに呼び戻される。


 フルネのタクトのもとで聴けなかったのは残念といえば残念だが、結果としてこの演奏に出会えたことは、
フルネによる練習の賜物であろう。そして、一日も早くフルネが健康を取り戻し、再び日本で指揮ができるように祈りたい。

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2005年01月22日

40年の軌跡・・・小泉和裕=ジャン・フルネ&都響

 1965年に始まった都響の軌跡は40年を迎え、
定期演奏会もちょうど600回を1月26日の文化会館定期は、それを記念する特別のプログラムが組まれた。都響の首席指揮者・
小泉和裕と名誉指揮者ジャン・フルネの両名が登場し、それぞれ得意のプログラムが演奏されたのである。この日の会場は、
座席数の多い文化会館であるにも関わらず、9割以上の座席に客が入る盛況だった。



  • R・シュトラウス:家庭交響曲(小泉和裕)

  • デュカス:舞踊詩「ペリ」からファンファーレ(以下、ジャン・フルネ)

  • デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」

  • ラヴェル:ダフニスとクロエ」第二組曲


 まず前半の「家庭交響曲」だが、R・シュトラウスが好きな私でも、実はよくわからない曲である。
私はこれまでに実演で聴いた記憶があるのは、たったの1回だけ。実際、演奏される回数も少ないのは、単に編成が巨大であるという以上に、
それほど人気のある曲ではないというのも理由の一つなのだと思うが、この都響定期で改めて聴いても、どこが面白い曲なのか、
よくわからなかった。確かに、R・シュトラウスらしい美しい宝石のような旋律がちりばめられているが、全体を通してみると、
変化に乏しく単調な音楽に聞こえてしまうのである。演奏した都響のコンディションは悪くなかったと思うが、
この45分に及ぶ大曲を集中して聞かせるには、音の大きさやダイナミックさではなく、
むしろ室内楽的な透明感や豊かな色彩感が必要なのではないだろうか。


 後半は、現役最高齢指揮者ジャン・フルネの登場で、さらに客席の拍手が大きくなる。足取りはさすがに重たいし、
衰えた視力を補うためだと思うが譜面台に置かれた楽譜は特大版である。しかし、そのタクトから醸し出される音楽から、
その年齢を感じさせることはない。むしろ瑞々しく、ふわっと湧き立つフランス的なエッセンス、上品な色彩感で溢れている。
日本のオーケストラで、これだけ香り豊かな「魔法使いの弟子」や「ダフニスとクロエ」が聴けるのは、まさにフルネ&
都響のコンビだけではないだろうか。一夜のコンサートで、二人の指揮者を聴いたのは、実は初めてなのだが、
こういう演奏会だと指揮者の個性が際立ってくる。たまにはこういう演奏会も面白い。そして、26日の都響定期(サントリーホール)
も楽しみになった。今度はデュカスの交響曲を、どのように聴かせてくれるのだろうか。

posted by のら at 23:20| Comment(0) | orchestra-TMSO