8月2日(日曜日)。今日は奄美諸島の旅の最後の日。前日の夜はたつや旅館で飲んで、ミスティまで行ってしまったために、朝起きたのが9時半ごろ。急いで朝食&荷造りし、宿に荷物を預けてチェックアウト。
奄美まつりもこの日が最終日で、子どもたちの相撲大会と、夜は名瀬市街地でパレードも行われる。とりあえず名瀬中学校で行われている相撲大会を見に行くことにした。バイクを走らせて10分ほどで名瀬中学校に到着すると、そこには常設と思われる立派な土俵があって、まわりには家族関係者と思われる人たちが陣取っている。これもやっぱり「参加型のまつり」なんだろう。
相撲が盛んなところは奄美群島の大きな特徴だ。どこの集落に行っても公民館の広場には土俵があるので、島の行事には相撲は決して欠かせないものになっているのだろう。
取組表みたいなものがないので、いつ、どんな取り組みが行われているのかさっぱりわからなかったのだが、ワタシが着いたときには中学校の団体戦、ついで小学校の個人戦みたいだった。たぶん私が着く前には小学校の団体戦が行われていて、私が帰ってから中学校の個人戦が行われたんだろうと思う。
相撲の取り組みも、体の大きさに差があるのに、小さいほうのが圧倒的に強いということもあって、見ていて結構面白い。
以下は小学生の個人戦。女の子も二人出場していた。二人とも一回戦を突破していたのは立派!だけど二回戦では二人とも負けていた。
小学生とはいえ、なかなかの力戦だ!
小学生の個人戦の途中で退却。昼ごはんは、またもや「鳥しん」で鶏飯。島料理は飽きてきても、この鶏飯だけは飽きがこない。もう新しい店を探すのがめんどくさくなってきた(爆)。
そして「やっちゃば」でパッションフルーツを購入。4年前に食べたパッションフルーツよりも、ずっと甘かった。
ガソリンスタンドで給油して、内山商事にバイクを返却。宿に戻って荷物を受け取って、バスターミナルから空港行きのバスに乗り込んだ。飛行機は19時だったので夕方のパレードの最初のほうを見ようと思えば見れたのかもしれないけど、それよりは奄美パークに行って田中一村の絵を見たかったのだ。
奄美パークは、旧空港跡地のできた観光施設。その中には、日本のゴーギャンと呼ばれることもある田中一村の美術館がある。ここに入るのは4回目だが、何回入っても田中一村という人物の生き方、その絵が醸し出す生命力に圧倒させられる。
一村の絵を見て、資料室でビデオを見ていたら、あっというまに数時間過ぎてしまう。もし奄美に行く機会があるなら、絶対に行くべき場所のひとつだと思う。
そして奄美パーク内を散歩し、ちょっと早い夕食を食べてから、再びバスに乗り奄美空港へ。19時発の羽田行きの飛行機は厚い雲の中に吸い込まれ、島影は見えなくなってしまった。
今回の旅は10泊11日の旅。この時期にしては天気にはホントに恵まれた。雨が降ったのは喜界島での1回だけスコールに見舞われたのと、喜界からカケロマへの移動日にちょこっと降られただけ。4年前のこの時期に旅したときも天気が良かった。奄美とは相性がいいのかもしれない(爆)。でも、もうちょっと島人たちといろいろな話ができればよかったなぁ。あとシマ唄の「かずみ」や「吟亭」にも行けなかった。それは次の機会に譲ることにしたい。
今回は初めての島=喜界島を旅し、これで与論、沖永良部、徳之島、請島、与路島を含む奄美諸島の有人島は全島制覇。奄美は、沖縄と日本本土との中間にあって、その両方の文化や生活、宗教観がクロスオーバーしているところが多い。自然風土もそうだ。どこか日本的でありながら、沖縄的でもある。単純に海の美しさやサンゴ礁の大きさを比較すれば、沖縄のほうが見ごたえがあるかもしれないけど、奄美にはまだ観光化されていない手付かずの自然が多く残されている。誰に見られることがない美しい海岸を独り占めできる贅沢さを味わえる。そして、島人たちと話せば、日本人が忘れかけている優しさがある。また数年のうちに奄美の島々を訪ねてみたいと思う。
PS. 最後に、同じ時期に奄美を旅行していた人のブログをハッケン。なんと同じ「たつや旅館」に同じ日程で泊まっていて、さらに4年前に初めて奄美大島に行ったときには同じ飛行機に乗っていたらしい。こちらのブログを読むと、別の角度からの奄美を知ることができると思います。