2010年04月30日

ドニゼッティ「愛の妙薬」@新国立劇場 4/18

【指 揮】パオロ・オルミ
【演 出】チェーザレ・リエヴィ
【美 術】ルイジ・ペーレゴ
【衣 裳】マリーナ・ルクサルド
【企 画】若杉 弘
【芸術監督代行】尾高忠明
【主 催】新国立劇場

【アディーナ】タチアナ・リスニック
【ネモリーノ】ジョセフ・カレヤ
【ベルコーレ】与那城 敬
【ドゥルカマーラ】ブルーノ・デ・シモーネ
【ジャンネッタ】九嶋香奈枝
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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2010年03月21日

ワーグナー「神々の黄昏」@新国立劇場

3月18日(木)は、ワーグナーの新国立劇場による「ニーベルングの指輪」の再演による「神々の黄昏」の初日。チケットは新国会員の郵送優先発売を利用したので、必然的にB席を購入。座席は2階R側で、指揮者の動きやピットの中までよーく見える席。舞台も近いので、オペラグラスがなくても表情がよーくわかる反面、舞台奥の右側はちょっと見難い。平日の16:00開演なのだが、当日の座席は概ね満員。

この舞台を見たのは、約6年ぶり。3人のノルンが映写技師?だったり、ラインの乙女がlシンクロの選手だったり(わざわざ3段腹になるように施した水着着用w)するのは、それまでの演出のコンセプトを引き継いだもの。第一幕のジークフリートは「B」のイニシャル入りのTシャツにジャケット、ブリュンヒルデは「S」のイニシャル入り。どちらもパートナーのイニシャル入りw。グンター家の部下たちは、精肉工場の従業員みたいないでたちで、その後、ジークフリートたちと狩に出かける話とリンクさせている。一方で、グンター家の女性は、グートルーネを含めて、なぜかみんなピンクのスーツ。演出のコンセプトとしては前3作から比べると、斬新さ、真新しさはすでに出尽くした感があるけど、ヒジョーにエキサイティングな演出であることは間違いない。

歌手では、ブリュンヒルデを歌ったイレーネ・テオリンが素晴らしかった。神性を失った女性の弱さと、ジークフリートを愛するゆえの女性の強さを感じさせる表現も実に見事。特にラストの「ブリュンヒルデの自己犠牲」は感動的で、テンションの高い歌声はいまも耳に残っている。また、ジークフリートを歌ったクリスティアン・フランツも、それに劣らぬ輝かしい歌声で、天真爛漫な英雄ぶりを演じた。狡猾で知性的なハーゲン、病的なアルベリヒも申し分ナシ。ブルメスターはこんなにルックスのカッコいいグンターは、はじめて見たw

演奏は、やはり端麗辛口系のワーグナー。濃厚系のワーグナーを好む人からすれば、ちょっと物足りなさが残ったかもしれないけど、この演出だったら端麗辛口系のワーグナーが良く似合う。ワタシの座った席は、残念ながら音響的にはイマイチの席だったので、きちんとした評価はしにくいけど、東京フィルの演奏は大健闘! 第一幕、エッティンガーのタクトが振り下ろされた瞬間の弦楽器には、ちょっと鳥肌が立つほどだった。

エンディングは、すべてがライン川の水底に沈み、ラインの乙女たちに黄金が戻される。そして舞台は現代に戻り、大学の映研っぽい人たちによる映写会場に舞台転換。みな満足げな表情で幕が閉じられる。

終演時間は10時半近かったので、カーテンコールもそこそこに帰る人たちも多かったけど、大きな拍手とブラボーの声が贈られていた。

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楽劇「ニーべルングの指環」第3日
神々の黄昏

2009/2010シーズン
2009/2010 Season Opera
Richard Wagner:"Der Ring des Nibelungen" Dritter Tag Götterdämmerung
リヒャルト・ワーグナー/序幕付全3幕
【ドイツ語上演/字幕付】

【指 揮】ダン・エッティンガー
<初演スタッフ>
【演 出】キース・ウォーナー
【装置・衣裳】デヴィッド・フィールディング
【照 明】ヴォルフガング・ゲッベル
【企 画】若杉 弘
【芸術監督代行】尾高忠明
【主 催】新国立劇場

【ジークフリート】クリスティアン・フランツ
【ブリュンヒルデ】イレーネ・テオリン
【アルベリヒ】島村武男
【グンター】アレクサンダー・マルコ=ブルメスター
【ハーゲン】ダニエル・スメギ
【グートルーネ】横山恵子
【ヴァルトラウテ】カティア・リッティング
【ヴォークリンデ】平井香織
【ヴェルグンデ】池田香織
【フロスヒルデ】大林智子
【第一のノルン】竹本節子
【第二のノルン】清水華澄
【第三のノルン】緑川まり
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

上演時間 1幕 135分 休憩 45分 2幕 75分 休憩 45分 3幕 85分
合計6時間25分

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2010年02月15日

ワーグナー「ジークフリート」@新国立劇場

ツイッター始めまシタ。 http://twitter.com/tokyoclassic

さて本題。2月14日のバレンタインデー、・・・・まぁ、なんでこんな日にオペラシティが休刊日になるんだろうね。年1回の電気保安点検が義務付けられているのは知ってるけど、新国立位劇場の公演日で、しかもバレンタインデー、・・・休館で落胆した人もいるんじゃないの?と推察してみる。でも、上演されたのがワーグナー、しかも「ジークフリート」となると、デートでオペラという人はいないだろ・・・・、休館日をこの日に設定した人がここまで推察したとすれば、それはそれで慧眼かもしれないケドw

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で、この日の新国立劇場は満員御礼。キース・ウォーナーの衝撃的な「リング」再演となれば、ここは何をおいても見ないわけにはいかない。そう思ったワタシも、今回は1万3千円ほどのB席をゲット。普段の国産オペラのチケットからすると高いけど、へたな外来歌劇団のオペラ公演よりは間違いなく質の高い上演が約束されている。今回は、この演出を見渡すことができる2階席をキープした。

新国のロビーも、ちょっと華やいだ雰囲気。1回のビュッフェではワーグナー特別メニューの提供も。

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下の写真で、左側のお皿が「ジークフリート・プレート」1,200円、右側のパックに入っているのがブリュンヒルデ・ハーフ。どこらへんがジークフリート、ブリュンヒルデなんでしょか?汗

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で、ノートゥング・デニッシュが下の写真。ま、これは何となく分かります。実際、この演出でのノートゥングのレシピだと、このデニッシュが完成するべきです。

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まず開演前に目につくのは舞台上に置かれた金床だ。前奏曲がはじまるとヴォータンがその金床の上に工具箱を置き、続いてアルベリヒが毒薬の入った瓶を置く。それをミーメが手にとって「ジークフリート」の物語が始まるという趣向だ。

ミーメの家はポップな色調で、テレビや冷蔵庫、電子レンジなどの家電製品がそろっている。おしゃれな感じすらただよう生活スタイルだ。しかし各所に設置された防犯カメラが、ミーメの小心さを物語る。ジークフリートの部屋はミーメの家の2階で、衣装はスーパーマンのシャツにオーバーオール。部屋の中に置かれたぬいぐるみの数々が、ジークフリートの幼児性を強調している。ミーメとの関係性も、現代の父子家庭を象徴しているような感じだ。そんな家だから、溶鉱炉みたいなものが家の中にあるはずがない。

ジークフリートがどうやってノートゥングを打ち直すのかというと、ガラス製のボールの中に、砕けたノートゥングを摩り下ろし、そこにミルクと冷蔵庫から取り出した緑色の調味料?を加え、電子レンジでチン♪ さらに長細い鍋で熱して薄く細長い形につくり、それを鍋でたたいて伸ばして出来上がり。これならウチでもノートゥング」を作れそうという感じである(^_^;)。

第2幕は、ジグソーパズルの破片が堆積した森の中という設定だ。さすらい人とアルベリヒは、その森を見晴らすリゾートホテルに滞在中。大蛇は、ヘビというよりも不気味な巨木で、ゾンビが釣り下がっている。ジークフリートの闘いは、大蛇との闘いというよりは、むしろゾンビとの闘いといった趣きだ。

倒れた大蛇=ファフナーに同情して、ジークフリートが水筒から飲み物=ミーメが作った毒薬を与える展開も斬新。それにしてもゾンビあり、動物のきぐるみありなど、さまざまな小細工がこされていてとてもユニークだ小鳥も青い着ぐるみを着て登場し、2幕の最後にはそのきぐるみを脱ぎ去り、一見フルヌード、・・・・もちろん肌色のレオタードだろうけど、そして第3幕以降はシルバーの耐火服を着てジークフリートを案内するという趣向だ。

第3幕は、ヴァルハラ城のなかと思われる映画フィルムが散乱した部屋の中だ。フィルムは運命の糸のような位置づけなのだろう。そしてジグソーパズルの一欠片の上で眠るエルダ。残念ながら第3幕は演出上の見どころはやや少なめな印象だ。開演前から舞台の正面にすえられていた金床は、実はブリュンヒルデが眠る炎に山だったのかもしれない。さすらい人を倒したジークフリートは、その真っ赤な金床の山に向かう。

斬新だった・・・というか意外だったのは、真っ黒なカーテンの向こうで、つまり客席から見えない中で展開されるジークフリートとブリュンヒルデの出会いだ。これまで必要以上なまでに説明的だった演出が、ここでは逆に観客の想像の世界に委ねられる。

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この日の上演は歌手はサイコー。ほとんど申し分ない高水準だ。初演時も歌ったクリスティアン・フランツの輝かしい声、小心ながらずる賢いミーメ、黄昏ゆく神々への予感を感じるさすらい人、いずれも申し分ない。

ただし管弦楽には不満が残った。これは座席の位置にも問題があったのだと思うけど、特に弦楽器が薄く、ワーグナーらしいうねりも希薄。3階席や4階席ならきちんと聞こえたのかもしれないけど、ワタシが座った2階席後部には弦楽器の音が届かない、・・・・そんなもどかしさを感じながらの6時間だったのが、ちょっとザンネン。

【指 揮】ダン・エッティンガー
<初演スタッフ>
【演 出】キース・ウォーナー
【装置・衣裳】デヴィッド・フィールディング
【照 明】ヴォルフガング・ゲッベル
【振 付】クレア・グラスキン
【企 画】若杉 弘
【芸術監督代行】尾高忠明
【主 催】新国立劇場

【ジークフリート】クリスティアン・フランツ
【ミーメ】ヴォルフガング・シュミット
【さすらい人】ユッカ・ラジライネン
【アルベリヒ】ユルゲン・リン
【ファフナー】妻屋秀和
【エルダ】シモーネ・シュレーダー
【ブリュンヒルデ】イレーネ・テオリン
【森の小鳥】安井陽子
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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2010年02月10日

藤原歌劇団「カルメル会修道女の対話」

2月8日(日)の風が強い日、東京文化会館で行われた藤原歌劇団の公演に行ってきた。当日は風邪をひいていて、軽い頭痛。こんな状態には重い演目で、プーランクが作曲した「カルメル会修道女の対話」である。

12年前に松本のサイトウキネンでこの演目に接し、さらに昨年3月には新国立劇場オペラ研修所の公演でふたたび上演されたこの演目、・・・・・決して知名度の高いオペラではないし、上演頻度の高い演目でもない。でも、昨年のオペラ研修所の公演も売り切れになったし、今回の藤原歌劇団の公演も、9割を超える客の入りで、ほぼ満員といってよい座席の状況を見ると、もはや珍しい作品ではなくなったのかもしれない。ワタシが勝手に20世紀オペラの最高傑作と評している作品の上演頻度が、こうして上がっていくのは、とてもウレシイ。

この作品のコトについては前回のブログを参照してもらうとして、今回の上演について・・・・・・書きたいのだが・・・・・・・えーと、前述の通り、当日は熱っぽくてちょっとキオクにあいまいなところが多く、特に第一幕なんかは・・・・・・特に・・・ね。なので、全体的な感想になるんだけど、やっぱピットの大きさに制限がある新国の中劇場の公演と比べると、大ホールの公演のほうがオケに厚みがあるし、音楽的な充実度は高い。舞台装置は、オーソドックスなもので、簡素ながら重厚感を感じさせるもの。

ただ、全般的に問題に感じたのは、やはり座席から舞台の遠さ、距離感だ。この演目は、オペラである以上は歌や音楽が主要な部分を占めるのは当然だが、いかんせんステージが遠く、演劇的な意味での緊迫感が伝わりにくい。昨年のオペラ研修所の距離感と、演劇的な意味での充実度の高さを比べると、いささかの物足りなさを感じたのも事実。

ラストは、13階段を背景に修道女たちが客席に向かって跪き、ギロチンの音とともに前に崩れ落ち、倒れていく。「来たれ精霊」の歌が途切れたかと思うと、それをブランシュが引き継ぐ。個としての死を超越した選択が、宗教観を超えた普遍的なメッセージを客席に訴えかける。それを、どう受け止めるか、きっと人によって差があると思うけど、私はいつもブランシュに自分を重ね合わせてしまう。

また、近いうちにこの演目に接してみたい。ぜひとも、レパートリーとして定期的に上演して欲しい演目だ。

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日時:2月7日(日) 15:00開演 ※開演45分前から作品解説あり(14:00開場)

演目:プーランク:オペラ「カルメル会修道女の対話」(全3幕・フランス語上演・日本語字幕付)

指揮:アラン・ギンガル

演出:松本重孝

出演
ド・ラ・フォルス公爵:三浦克次
ブランシュ・ド・ラ・フォルス:佐藤亜希子
騎士フォルス:小山陽二郎
クロワシー修道院長:郡 愛子
リドワーヌ修道院長:本宮寛子
マザー・マリー:牧野真由美
コンスタンス修道女:大貫裕子
マザー・ジャンヌ:二渡加津子
マティルド修道女:松浦 麗
司祭:所谷直生
第1の人民委員:川久保博史
第2の人民委員:清水良一
ジャヴリノ(医師):柿沼伸美
役人:羽渕浩樹
ティエリー/看守:坂本伸司
マザー・ジェラール:家田紀子
クレール修道女:吉村恵
アントワーヌ修道女:立川かずさ
カトリーヌ修道女:清水理恵
フェリシティ修道女:村瀬美和
ジェルトリュード修道女:安達さおり
アリーヌ修道女:宮本彩音
ヴァランティーヌ修道女:渡辺ローザ
アン修道女:吉田郁恵
マルタ修道女:山崎知子
シャルレ修道女:但馬由香

演奏:東京フィルハーモニー交響楽団

合唱:藤原歌劇団合唱部

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2009年12月16日

プッチーニ「トスカ」@新国立劇場

新国立劇場の中でも、トラディショナルな演出、豪華で重厚な舞台装置で好評を集めている「トスカ」が再演された。ワタシも以前に新国の「トスカ」を見たことがあるけど、オペラ入門に最適な演目のひとつだし、この演出だったら誰にでもオススメできるかな、と思える内容だった。私が行ったのは12月13日(日)で、この演目の最終日、日曜日の公演とあってホールは満員。

ま、でも、個人的には「トスカ」って、プッチ−ニの中では好み度が高いほうの演目じゃない。もちろん、プッチーニは一番好きなオペラ作曲家なんだけど、見たいと思う優先順位が高くないというべきか。ナゼかっていうと、ワタシもよくわからないのだが、あのトスカの人物像に問題があるのかも。

・・・・・・というのもワタシ、嫉妬心が強烈な女性ってダメなんだよね(汗)。いや、もう、ホントにだめ。だからカヴァラドッシがトスカに惚れる理由がわからない。スカルピアがトスカに惚れる理由はわかるんだけど、カヴァラドッシはトスカが嫉妬深いことを知っていて付き合ってるんでしょ?それ、共感できないんだよねー。なので、ワタシはこの演目を見るときには、一歩引いて見ているワケ。

そんな話は置いといて(汗)、歌手はいずれも大健闘。タマーは、どちらかというとドラマチック・ソプラノの系統なのかな? やや重めの声だけど、豊かな声量とテンションの高さは良い。でも、歌に込める感情がちょっと一本調子。細かな感情の起伏が感じられないのがザンネンかも。ヴィントレも声がとても良い。声量もあるし、こちらは感情の込め方もウマイ。スカルピアは、かなり狡猾そうな役柄を強調したような声の持ち主。個人的にはもっと重量感のある声のスカルピアがイメージなんだけど、この人の声はちょっと軽めかな。でもイイです。カーテンコールでは大きな拍手を集めていましたから。

で、この日の一番の収穫は、シャスラン指揮の東京フィルハーモニー。アンサンブルも整えられていて、なおかつドラマチック。バレエで聴いたばかりのマリインスキー管と比べても、劣らない内容だ・・・・と言ったらほめ過ぎかな。でもこれだけの演奏が聴けるんだったら、日本のオケでも良いじゃないと思える内容であったことは確か。

新国の「トスカ」はイイ。わかりやすいストーリー、超豪華な舞台装置、・・・・こんな演目がレパートリーにあるんだったら、身近な人をオペラに誘ってみたくなる。新たなオペラ愛好家を発掘するためにも、もっと上演頻度を増やしても良いんじゃないかな。

2009/2010シーズン
2009/2010 Season Opera
Giacomo Puccini:Tosca
ジャコモ・プッチーニ/全3幕  【イタリア語上演/字幕付】

スタッフ

【指 揮】フレデリック・シャスラン
【演 出】アントネッロ・マダウ=ディアツ
【美 術】川口直次
【衣 裳】ピエール・ルチアーノ・カヴァロッティ
【照 明】奥畑康夫
【芸術監督】若杉 弘
【主 催】新国立劇場

キャスト

【トスカ】イアーノ・タマー
【カヴァラドッシ】カルロ・ヴェントレ
【スカルピア】ジョン・ルンドグレン
【アンジェロッティ】彭 康亮
【スポレッタ】松浦 健
【シャルローネ】大塚博章
【堂守】鹿野由之
【羊飼い】九嶋香奈枝
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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2009年11月21日

晴れなのに、晴れない日。

今日は土曜日。朝起きるとイイ感じの青空。ホントはポトレのはず、しかも気合を入れまくっての撮影のはずだったんだけど、・・・・なぜこんな日に限ってヒドイ頭痛がっ。オマケに軽い吐き気も。ワタシもザンネンの極みだったけど、それ以上に多くの人にご迷惑をおかけしますた(_ _;)。

さて、夕方になってようやく起き上がって郵便受けに行ってみたら、新国立劇場から「The Atre」の12月号が。特集はR・シュトラウスの「影のない女」、・・・ワタシの一番好きなオペラ作曲家の作品で、しかも日本では十数年ぶりの上演のはず・・・滅多に観る機会のない演目だ。これは是非とも行きたい、絶対に!

あと、来シーズンの演目の一部がチラシで挟み込まれていて、10月にはウルフ・シルマー指揮で「アラベッラ」、12月末~年始にはなんと!!大野和士の指揮で「トリスタンとイゾルデ」を上演するとか。いずれも新製作で、アラベッラはフィリップ・アルローの演出・・・・新国では「ホフマン物語」や「アンドレア・シェニエ」の演出を手がけた実績がある・・・・で、衣装は森英恵が務める。トリスタンは、1966年生まれのイギリスの演出家デイヴィッド・マクヴィカー。かなり注目の演出家だというウワサ。

ところで、演劇の「象」の抽選申し込みの案内が入っていたんだけど、これって注目の上演なんですか? いつもはフツーの優先申し込みの案内なのに、今回に限っては混乱が予想されるので「抽選」ということらしい。新国の演劇って一度も観に行ったことがないから、一度申し込んでみるかな。ちと興味アリ。

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2009年10月18日

DeAGOSTINI Opera Collection No,4 "Madama Butterfly"

デアゴスティーニの隔週刊オペラコレクションの第4弾を買いますた。タイトルは「蝶々夫人」、プッチーニ好きのワタシとしては、外すことができない演目です。

まず最初に、「蝶々夫人」に対するワタシの視点から。たぶん、この演目の上演水準は、日本が一番高いのではないかと、ワタシは勝手に思っている。海外での蝶々夫人の公演を、実演・映像も含めて一度も見たことがないワタシが言うのは、暴言もしくはタワゴトと認識されるのは重々承知のしているがww、演出や出演者の振り付け、所作、繊細な心理を表現する歌唱力、そのすべてを総合すれば、日本の蝶々夫人のプロダクションが、海外のそれと比べて劣っているとは思わない。

特に私の印象に残っているのは、今をさかのぼること15年前、1994年に藤原歌劇団が井田邦明を演劇界から抜擢して上演した「蝶々夫人」だ。抽象化した舞台をもって素晴らしい演出を披露、さらに佐藤ひさらの絶唱、凛とした演技を得て素晴らしい舞台を作り上げた。私が知る限り、このときの佐藤ひさらを超える蝶々さんは、その後存在しない。ワタシにはそういう基準があるので、今回のDVDの評価は、「純音楽的」な視点から見る人からすれば、ちょっと辛口の評価に写るかもしれないがご容赦を。

20091017

作曲:ジャコモ・プッチーニ
指揮:ダニエル・オーレン
演出:フランコ・ゼッフィレッリ
演奏:アレーナ・ディ・ヴェローナ管弦楽団&合唱団
出演:
蝶々さん…フィオレンツァ・チェドリンス(ソプラノ)
ピンカートン…マルチェッロ・ジョルダーニ(テノール)
シャープレス…フアン・ポンス(バリトン)
収録場所:アレーナ・ディ・ヴェローナ《2004年収録》
収録時間:2時間22分(1枚組)

で、、このDVDは、収録が新しいので、音質、映像の品位ともOK。屋外での演奏なので、弦楽器の音にガサツキを感じるところがあるけど、全体的に見れば問題のないレベルかと思われ。歌手陣も、大変に高いレベルで、映像ナシのCDで聴けばワタシも満足だったと思いマス。でもねー、映像になるといらないアラが見えてしまうのだ。ゼフェレッリの演出、舞台装置が、日本と中国のちゃんぽんみたいで、ちょっと不気味w。ワダエミの衣装も同様。登場人物の所作は日本人が指導したものらしいけど、ちょっとザンネンな水準かも。

蝶々さんを漢字一文字で表現するとすれば、ワタシ的には「凛」。武士の娘として生まれ、没落を味わいながらもその自尊心を胸に秘め、ピンカートンへの一途な愛を抱き、その愛の自尊心との相克の中で命を絶った女性である。しかしチェドリンスの描く蝶々さんは、とても情熱的で、第一幕でもピンカートンとの愛の二重唱も、凛とした日本女性の美点や恥じらいはほとんど感じ取ることはできない。むしろ恍惚とした表情を湛え、情熱的な愛のデュエットを高らかに歌い上げる。第2幕のゴローに対する怒りもヒステリック。自決に至るシーンは、武士の娘としてのプライドから死を選ぶのではなく、ただただ感情的で、投げやりな雰囲気さえ感じてしまう。このあたりは、物語の骨格に関わる部分なので、ワタシ的には譲れないところ。

一方で、スズキは、とても日本人的な表情を理解し、その所作も申し分ない出来栄え。ホワン・ポンスも理性的かつ深々とした歌唱で人格者ぶりを発揮し、ジョルダーニもやや軽薄なアメリカ軍人を描き出した。たぶん、このピンカートンだったら反省しないで、また同じようなことをやるんだろうなwww。

ダニエル・オーレンの指揮は、チェドリンスの歌唱同様、極めて情熱的で、豊かな感情を余すところなく描き出す。映像に時折映るオーレンの指揮は、音楽に没入しきっているような感じだが、ある意味チェドリンスの歌唱と相性はいいのかもしれないとは思った。

そんなワケで、ワタシ的な基準で見ると満足に至らないDVDだったんだけど、繰り返しになるが純音楽的に見れば大変に高い水準の音楽を作り出しているのは事実。蝶々夫人の国際的な水準を計る上でも、一見に値するディスクであることは間違いないと思います。

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2009年10月17日

トリノ王立歌劇場のチケット発売

来年7月下旬の公演でしょ?発売、早すぎ!でも、今日が会員向けの発売日で、なんとか両公演ともにF席をゲット成功。歌劇場としての実力は未知数だけど、ナタリー・デセイが歌う「椿姫」も、バルバラ・フリットリが演じる「ラ・ボエーム」も典型的なプリマドンナ・オペラで、どちらも好きな演目なのでとても楽しみデス。

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2009年10月03日

メリーメリーウィドウ@新国立劇場

10月1日は、新国立劇場で行われた文化庁芸術祭祝典・国際音楽の日記念の「メリーメリー・ウィドウ 祝祭版 〜ちょっと陽気な未亡人〜」に行ってきますた。音楽、ストーリーの基本はレハールの「メリーウィドウ」で、そこにJ・シュトラウス「こうもり」、ヴェルディ「椿姫」の登場人物も加わった、「祝祭版」の喜歌劇だ。

今回は、チケット代がS席5,000円と格安ということもあって、な・なんとS席を購入!そしたら座席は1階前方のど真ん中!双眼鏡いらないじゃん、という席ですた。しかし、周りの席はみんな「高齢者」というカテゴリーに属する方々ばかりで、ワタシなどはその中では青二才かも(爆)。いやー、クラシックのコンサートなどは、10年後には絶滅するかもという危惧を抱きました。

20091001

【出 演】
<メリー・ウィドウ>
【ハンナ】中嶋彰子
【カミーユ】ディヴィッド・ロビンソン
【ダニロ】与那城敬
【ヴァランシエンヌ】九嶋香奈枝
【ツェータ男爵】町 秀和
【ボグダノヴィッチ】青山 貴
【カスカーダ】北川辰彦
【サン・ブリオッシュ】村上公太
【クロモウ】岡 昭宏
【プリチッチ】駒田敏章
【大使秘書】藤木大地
<椿姫>
【ヴィオレッタ】安藤赴美子
<こうもり>
【アイゼンシュタイン】桝 貴志
【ロザリンデ】吉田珠代
【オルロフスキー】清水華澄
【オロロフスキー】増田弥生
【ファルケ】青山 貴
【アデーレ】大西恵代
【イーダ】鷲尾麻衣

【指 揮】現田茂夫
【演 出】飯塚励生
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【合 唱】新国立劇場オペラ研修所修了生/研修生

上演形式は、オケはピットには入らずに、ステージの一段高いところで演奏するセミステージ形式。舞台は、そのオケの前で繰り広げられるのだが、舞台装置は基本的にナシ。歌は原語だが、台詞は日本語というもの。出演者も、一部を除いて若手が主体。チケの値段が値段だけに、あまりお金がかかっていない公演という感じはぬぐえない。

でも、オペレッタは面白い。それに華やかだ。舞台装置はナイに等しくても、レハールの音楽や歌は華やかで、ココロ躍る。歌手では、ツェータ男爵を演じた町秀和が秀逸で、ちょっとスレたハンナだったけど(爆)、中島彰子も芸達者。ダニロの与那城も、イイ感じで色男を演じる。全体的に見るとフレンチカンカンもないし、シャンパンの泡が弾けるような雰囲気、オペレッタ特有のアルコールの匂いが希薄な感じはするけど、若手主体の舞台としてはなかなか立派な水準だと思われ。

第一幕のパーティの最中に、「こうもり」のアイゼンシュタインとロザリンデが乱入するシーンや、第2幕には同じパリということでヴィオレッタとカミーユによる「乾杯の歌」、そしてそこにロシア大使館からオルロフスキー(しかも双子という設定!)が乱入するという趣向も加わり、登場人物を増やすことで若手の出番を増やして経験を積まそうという意図も感じられる。

ワタシ的には、チケット代以上に楽しめた公演ですた。やっぱり1階前方は見やすいなぁ。双眼鏡いらないし。でも字幕スーパーを見ようとすると首が疲れるのが玉にキズ。今後も、こんあ若手主体のオペレッタを定番化して、中劇場あたりで上演すればいいのに。もちろん、チケットは安めに設定してくらはい。

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2009年09月20日

ヴェルディ「オテロ」@新国立劇場 9/20初日

スカラ座の「ドン・カルロ」で「ヴェルディは苦手」などと書いておきながら、その舌の根も乾かないうちにヴェルディのオペラを見に行くことになった。演目は「オテロ」、シェイクスピアの名作をヴェルディがオペラ化した作品だ。しかも、今日は、新国立劇場の新シーズンの幕開けを飾る初日の公演、会場には着飾った人たちも多く、華やいだ雰囲気に彩られたデス。

やっぱ、ヴェルディが苦手であることには変わりがないけれど、その中では「オテロ」は苦手意識が少ないほうの演目だ。なんでかなー、と考えてみたら、好きな演目(苦手じゃない演目)には共通点がある。オペラを見始めた当初に親しんだ演目だということだ。オペラを見に行こうと思ったごく初期の段階で、「椿姫」はドミンゴとストラータスの映画で好きになったし、それとほぼ同時期に「オテロ」もドミンゴ&リチャレッリの映画を見た。「マクベス」は、一番最初にナマで見たヴェルディのオペラだ。つまり・・・・「三つ子の魂、百まで」。

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そんな「オテロ」の新国立劇場新演出だけど、非常に面白い見ものだった。カーテンコールもすごく盛り上がって、評価は上々!新演出好き、照明好きのの人なら、これからでもチケットを買って、ぜひとも見に行くべきだと思う。あと、オーケストラも素晴らしかった。繊細かつダイナミックでドラマチック!指揮者のフリッツァの実力もぜひ実演で味わってみるべきだと思う。ただ、繊細な心理的な表現を歌唱に求めるなら、ちょっとオススメしにくいかもしれない、というのが結論。

オテロの舞台装置などは新国立劇場の特設ページに掲載されているけど、とても斬新。本来、このオペラの舞台は地中海のキプロス島のはずだが、舞台装置を見るとヴェネツィアのように水路が作られている。中央にはオテロとデズデモナの家があり、その周囲は水路が張り巡らされ、実際に舞台上はプールのように水が10cmくらい張られ、さらにヴェネツィアのような街並みが水路を取り囲む。とても手の込んだ舞台装置だ。そして、このオペラの舞台は、この一面のみ。しかし、照明などが巧みに駆使され、オテロの家が回転することによって、スピーディに物語が展開する。

第一幕では、ドラマチックな雷鳴が鳴り響き、迫力のある演奏からスタートする。この日の東京フィルは、緊張感お高い引き締まった演奏を基調としながらも、ところどころのキメドコロで効果的なダイナミックな演奏を聴かせてくれた。冒頭の雷鳴のシーンから、この日の充実した演奏を予感させるもので、指揮者のフリッツァの力量によるところも大きいことは容易に想像がつく。

第一幕での花火(火花?)や炎が効果的に用いられ、第2幕では水面に写る照明が美しく光る。演出家自身、プログラムに記載しているように、照明が巧みに用いられ、一面だけの舞台ながら、まったく不足感を感じさせないのはサスガ。オテロの妄想、つまりデズデモナとカッシオとの浮気現場の妄想シーンが舞台上に再現され、娼婦のようなデズデモナが足をさらけ出し、カッシオと逢引するシーンを挿入するのも、ワタシ的には始めてみる試みだった。

歌手は、いずれも盛んな拍手を受けていたけど、前述の通り、繊細な心理表現という点では不満が残った、オテロのグールドは強靭なヘルデンテノール系の声だけど、いささか一本調子に過ぎる。第一幕の騒ぎを収めるシーンでは怒りだけが際立ってしまい、もう少し人格者的な表現が欲しかったし、デズデモナに対する嫉妬心も人格障害者的な傾向が感じられてしまう。オテロは、本来、民衆にも慕われる人格者としての側面が、このグールドの歌唱だとあまり見えてこないのである。第一幕でのデズデモナとの愛の二重唱でも、もっとシットリと、癒しの空気感も感じられるように歌って欲しかった。

デズデモナのイヴェーリも同様。搾り出すような声の傾向はあまり好みではないが、硬質の通る声は大きな武器だろうと思う。しかし、こちらも前半を中心に繊細さが不足するところが多かった。影の主役イアーゴのガッロは、狡猾な悪役振りを発揮し、こちらは好演かと。その他、合唱団を含めて、高いレベルであったことは確か。全体としては、新シーズンの幕開けにふさわしい高水準であったことは間違いない。あとは、ワタシがヴェルディに求めるところが、他の人とはちょっと違うところに問題があるのかもしれない(爆)。

【指 揮】リッカルド・フリッツァ
【演 出】マリオ・マルトーネ
【美 術】マルゲリータ・パッリ
【衣 裳】ウルスラ・パーツァック
【照 明】川口雅弘

【オテロ】ステファン・グールド
【デズデーモナ】タマール・イヴェーリ
【イアーゴ】ルチオ・ガッロ
【ロドヴィーコ】妻屋秀和
【カッシオ】ブラゴイ・ナコスキ
【エミーリア】森山京子
【ロデリーゴ】内山信吾
【モンターノ】久保田真澄
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

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2009年09月18日

DeAGOSTINI Opera Collection No,2 "La Traviata"

買ってきました、オペラコレクションNo,2の「椿姫」。第一号の「カルメン」は店の入り口にドドーンと平積みされてたんだけど、第2号からは店の奥のほうの雑誌売り場のほうに移動。ちと、探してしまったデスよ。

で、オペラを見るときの究極の設問。「椿姫」みたいなプリマドンナ・オペラを見るときに、歌はちょっと問題アリだけど容姿がスゴク魅力的でヴィオレッタそのものみたいな歌手Aと、容姿や年齢は????だけど、歌がめちゃくちゃ巧くて表現力バツグンの歌手Bがいたとしたら、どっちを選びますか?

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もちろん、容姿と歌唱力と両方を兼ね備えていたほうがイイに決まっているけど、そういう歌手は、ザンネンながらなかなかいない。歌唱力のあるオペラ歌手というのは、体格が立派過ぎるくらいに立派なのは、歌唱力を保つ上で必要があるからと言われている。でも才色兼備という例外は存在するもので、あのマリア・カラスが伝説になっているのは、その両方を兼ね備えていた稀有の存在だからで、もしそうでなければマリア・カラスはずっと昔の忘れられていたに違いない。

・・・・で、設問の答えは、ワタシ的にはやっぱB・・・・かな。オペラはやっぱ歌があっての芸術なのだ。いまゲオルギューの「椿姫」を見ながら、改めてそう思っている。

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このDVDの映像は、1994年にロイヤルオペラで上演されたもの。当時、子どもだったワタシ(ウソ)は、衛星放送でこの映像を見た記憶があるデス。リチャード・エアによる演劇的でリアリティのある演出と、当時は新進だったアンジェラ・ゲオルギュー(当時29歳くらい)の美貌が話題に的になり、一躍有名になったゲオルギューは1997年の藤原歌劇団の「椿姫」にも招聘されている。当時、小学生だったワタシ(ウソ)は、こんな感想を書いていた。

●97/01/15 藤原歌劇団が1990年から毎年「成人の日」前後にオーチャードホールで上演しているヴェルディ「椿姫」の公演。日本初の本格的なレパートリー・システムによる上演だと思うけど、そのメリットを生かして豪華な舞台装置を作製し毎年使用、さらに世界中の注目の歌手をあつめて上演水準も国際的なレベルに達していると思う。私がこのシリーズで接したヴィオレッタは、イレアナ・コトルバス、キャサリン・カッセッロ、ジェシー・デヴィヌー(2回)、チェン・スーの4人。今年は現在最も注目すべきソプラノ、ルチアーノ・セッラがが登場するはずだったけどインフルエンザのためキャンセル。これは残念だったけど代役として登場したのがなんと! アンジェラ・ゲオルギュー! 1994年にショルティ指揮コヴェント・ガーデン歌劇場で「椿姫」を歌って一躍注目を集めた新進のソプラノである。

この舞台は録画されてレーザー・ディスクにもなっているらしいけど、BSでも放送されて見たことがある。彼女を見て誰もが感じることだと思うけど、ゲオルギューはとても「美人」である。よくチラシやプログラムの写真とステージの実物を見比べて「ううむ・・・」と唸ることが多いけど、彼女に限ってはそのようなことはあり得ない。テレビのどアップでみてあれだけ綺麗なのだから、ステージで見て失望することはないだろう。私個人はそれほど面食い?ではないのだが、オペラの主人公のほとんどは「美女」という設定である以上、それらしい容貌は説得力があるステージ作りにとって大きな武器であることは間違いない。

しかし歌手である以上、問われるのはヴィオレッタとしての歌唱である。ナマで聴いた彼女の声、声量は大きくはないけれど不足することはない。第一幕なんかは歌い回しに若干堅さを感じるところがあったけど、高音に至るまでつながりがあってとても美しい声。素材そのものは決して悪くないけど、ちょっと問題だと思ったのは表現力。「そは彼の人か〜花から花へ」という対照的な心境の表現はちょっと平板で、歌い分けが出来ていない。2幕1場のジェルモンとのやりとりは感情の起伏を表現していたけど、それ以外はちょっと感心できなかった。

アルフレードは新鋭マルコ・ベルティ。引き締まった声が魅力的なテノールで、このシリーズで登場したアルフレードでは一番好みに近い声だった。さほど表現力が要求されない役柄なので、その役割は十分に果たしたと思う。ジェルモンは慶応法学部卒、脱サラして歌手になったと評判の堀内康雄。引き締まった声のバリトンだけど、個人的な好みから言うともうすこし深々とした声のジェルモンがいい。だけど日本オペラ界へのデビューとしては、良い印象を植え付けたんじゃないだろうか。だけど彼が「プロヴァンスの陸と海」を歌い終わった後、特定の方向からの盛大なブラボーはちょっと興ざめ。悪くはなかったけど、どう考えたってそこまで誉めるべき歌唱じゃない。内輪(慶応ワグネル?)以外に考えられないぞ。

演出は松本重孝。舞台装置は同じという制限があるので、演出に手を加えられる幅にも制限がある。従ってオーソドックスな演出の範囲内のものだったけど、ちょっとだけ味付けはしていた。2幕2場でヴィオレッタがジェルモンに「娘のように抱きしめて下さい」と言うシーンがあるけど、ジェルモンがヴィオレッタをシカトしたのを見るのは初めて。管弦楽は大野和士=東フィルだけど、もうすこし自己主張と躍動感を盛り込んだ伴奏を聴かせてほしかった。ヨーロッパ公演から帰ってきて元気だったころの東フィルに比べると、ちょっと落ち着いてしまった感じだ。

ビジュアル的には高い次元の舞台だったと思う。ただ音楽的には望むべき点も多かった。ゲオルギューは92年のコヴェントガーデン歌劇場(ロイヤル・オペラ)の来日公演で「ドン・ジョバンニ」のシェルリーナを歌っている。そのときには全く話題にはならなかった(私も同演目は見たけど別キャストだった)けど、今度の舞台で日本の聴衆に大きな印象を与えたことは間違いない。歌ではまだ進歩の余地があるけど、DVDなどビジュアル的要素が重視される現代では存在感がもっと大きくなるに違いない。

いま、改めてゲオルギューの歌唱と舞台姿をDVDで見て、上記の引用と同じようなことを思ってしまった。容姿はキレイだし演技力もあるけど、歌だけを聴くとちょっと平板な印象はぬぐえない。でも、オペラが映像として親しまれる時代なのだから、こういう歌手が求められるのはある意味、必然なのかもしれない。それに、歌で不足している表現力の部分は、表情や演技力で十二分にカバーしている。

リチャード・エアの演出も秀逸で、舞台の合唱団の隅々まできちんと演技が行き届いているし、舞台装置も手が込んでいて、ひとつのドラマとして素晴らしい仕上がりになっている。94年の収録だから映像も十分にキレイだし、音質も「カルメン」と比べると雲泥の差だ。巨匠ショルティの鋭いタクトも見逃せない。オペラの先駆けとなったDVDとして、オススメできる一枚にゃ!

ちなみに次回のロイヤル・オペラの来日公演には、この演出の「椿姫」を持ってくるというウワサです。

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今号の付録は、オペラ用語辞典。やさしく読めるように工夫されています。

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2009年09月16日

ミラノ・スカラ座 ヴェルディ作曲「ドン・カルロ」

唐突ですが、みなさん、「ブザービート」って見てます? ワタシはあまり決まったドラマは見ないんだけど、たまたま月9の時間はテレビの前にいることが多くて、何気なしにテレビをつけていたら「ブザービート」が流れてるワケ。それで何回か見ているんだけど、最初のうちは「北川景子カワイー」とか「相武紗季って性格ワルー」って感じで見てたんですヨ。でも、なんか人間関係がドロドロしてきて、・・・・そうなると途端にみるのが嫌になってくるんです、ワタシ。「冬のソナタ」もずっと前に勧められて見た事あるんだけど、それも序盤のドロドロになってきたところで中断、・・・それっきり続きは見ていない。

「ドン・カルロ」って、そんなドロドロ・オペラの典型かもしれない。スカラ座の舞台を見てそう思った。先に挙げた「ブザービート」って、結構「ドン・カルロ」に似ているところがあって、キャストにたとえると・・・

上矢直輝 …… 山下智久・・・・ドン・カルロ
白河莉子 …… 北川景子・・・・エリザベッタ
七海菜月 …… 相武紗季・・・・エボリ公女
川崎智哉 …… 伊藤英明・・・・フィリッポ二世

かなりムリがあるのは承知の上だけど、だいたいこーゆー感じ。伊藤英明の婚約者だった北側景子が山Pと相思相愛になっちゃって、山Pの元恋人の相武紗季が性格悪くて横恋慕、・・・みたいに愛憎関係が入り組んで、もうドロドロ(爆)。

正直に告白すると、ワタシはヴェルディは苦手。「椿姫」と「マクベス」以外は好きじゃない、・・・って言うと絶対に、「イタリア・オペラの代名詞とも言うべきヴェルディが苦手とはっ! お前はオペラのことがわかってないっ!」って言われるような気がするけど、でも好きじゃないものはしょうがない。でも、スカラ座の「ドン・カルロ」を見て、どうしてヴェルディが苦手なのか、よーくわかった。ヴェルディって、ドロドロのドラマばっかりじゃん。

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最初に結論を書いちゃったような気もするけど、昨日=9月15日(火)は、プレミアムエコノミー券を買えたので、ミラノスカラ座日本公演に行ってきた。値段は19,000円で、3階サイドの4列目。前の人のアタマがちょっと邪魔になる場合があるけど、まぁまぁの席。会場は概ね満員で、シックにきめた女性の姿も多かったデス。

長いオペラなんで、終演は10時半くらいになってしまったけど、舞台そのものはスバラシイとしか言いようがない。イタリアオペラの最高峰=ミラノ・スカラ座が、その威信を存分に発揮した公演水準だったと思う。ます、やっぱオケは巧いねー。音の輪郭がきりっとしているし、適度な厚みと光沢感、安定感がある。ガッティの指揮もイイ。完全主義者=ムーティの指揮だと息が詰まりそうになるけど、ガッティの指揮は、適度に開放感があって、オケを巧みにコントロールしている。

歌手もイイです。ヴェルディの中でも、上演するのが難しいオペラの筆頭に挙げられるオペラだけど、これだけの歌手がそろうと壮観のヒトコト! エリザッベッタを歌ったカロージも感情表現が豊かで良かったし(ホントはフリットリを聴きたかったけどね)、ロドリーゴのイェニスも知性的で豊かな声量、フィリッポ二世のルネ・パーペも存在感グンバツだし、ドン・カルロのヴァルガスも声量は抑え目ながら苦悩する王子役を熱演、エボリ公女も役どころを押さえたテンションの高い歌声が光った。宗教裁判長のド迫力も忘れちゃいけない。合唱も、巧いですわ、ホント。

演出もシンプルで違和感ないモノで、本来なら文句なく絶賛すべきものだったのかもしれない。でもねー、やっぱダメ、ヴェルディの「ドン・カルロ」。ドロドロとした苦悩ばっかりのオペラって、どうも共感できない。没入できない。集中できない。その点、プッチーニの登場人物って、好きデス。音楽的にもずっと好き。今度来るときは、絶対にプッチーニを持ってきてくらはい。

そんなワケで、10時半の終演後、カーテンコールもソコソコに引き揚げることにしました。

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ミラノ・スカラ座 2009年日本公演
「ドン・カルロ」全4幕(イタリア語版)
指揮:ダニエレ・ガッティ
演出・舞台装置:シュテファン・ブラウンシュヴァイク
衣裳:ティボー・ファン・クレーネンブロック
照明:マリオン・ヒューレット
合唱指揮:ブルーノ・カゾーニ
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フィリッポ二世:ルネ・パーペ
ドン・カルロ:ラモン・ヴァルガス
ロドリーゴ:ダリボール・イェニス
宗教裁判長:アナトーリ・コチェルガ
修道士:ガボール・ブレッツ
エリザベッタ:ミカエラ・カロージ
エボリ公女:アンナ・スミルノヴァ
テバルド:カルラ・ディ・チェンソ
レルマ伯爵:クリスティアーノ・クレモニーニ
国王の布告者:カルロ・ボージ
天の声:ユリア・ボルヒェルト
フランドルの6人の使者:
フィリッポ・ベットスキ
アレッサンドロ・パリャーガ
エルネスト・パナリエッロ
ステファノ・リナルディ・ミリアーニ
アレッサンドロ・スピーナ
ルチアーノ・バティニッチ
ミラノ・スカラ座管弦楽団 /ミラノ・スカラ座合唱団
◆上演時間◆
【第1幕】 18:00 - 19:15
休憩 30分
【第2幕】 19:45 -20:25
休憩 30分
【第3幕】 20:55 - 22:00
-舞台転換-
【第4幕】 22:05 - 22:25

posted by のら at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | opera

2009年09月05日

DeAGOSTINI Opera Collection No,1 "Carmen"

たまにはクラシック・ネタ(爆)。

テレビのCMでデアゴスティーニの「週間○○○○コレクション」とかいうの、見たことあると思うけど、ワタシ的にはこれまで全くデアゴスティーニの発売しているものに興味がなかった。毎週買うことによって、モノが組み上がったり、コレクションができたりする週刊誌だけど、初号は半額の安さで釣っておいて、安そうに見えるけど、全部で何号なのか、全部でいくらになるのか、価格に見合う内容があるのか、ぜ〜んぜんわからなかったりすることも多い。

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そんなデアゴスティーニだけど、今回初めて買ってみた。それは「週刊オペラコレクション」。その最初は、あの天才指揮者カルロス・クライバーが振る「カルメン」で、1978年12月9日にウィーン国立歌劇場でライヴ収録されたものらしい。まずクライバーが振るの映像ということだけで萌えるクラ・ヲタも多いはず(汗)。

タイトルロールは、先日のボリショイ・オペラの「スペードの女王」でも抜群の存在感を見せたロシア(当時のソ連)の名歌手エレーナ・オブラスツォーワ。ドン・ホセには三大テノールのひとり=プラシド・ドミンゴ、演奏はウィーン国立歌劇場管弦楽団、演出は、フランコ・ゼフェッレッリとくれば、申し分ない最強のキャスティング。この映像は、クライバーが48歳、オブラスツォーワが39歳、ドミンゴが37歳だから、まさにその絶頂期の映像だと思われる、・・・たぶん。

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冊子を開くと、左側にはオペラの薄い解説書と、右側にはDVDのパッケージ。解説書は、第一号ということもあって、今後の発売予定や定期購読のオススメ、発売して欲しいオペラのアンケート葉書が入っていることをみると、全65巻と言いながらまだ中身は全部決まっていないみたい。解説は、・・・・うーん、あまり読む気がおきないないぁ。オペラ初心者を意識した解説なのかもしれないけど、青島広志氏の「楽曲の魅力」なんて文章で書くよりDVDをみりゃいいじゃん、と思うし、それよりは登場する歌手の解説をもっと充実させるべきじゃないかなぁ。

そして、DVDのパッケージに入っているのは、一枚のDVDだけというシンプルぶり。

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早速、DVDを再生してみた。

さすがに30年前の映像だけに古さは隠せないし、音質も良くない。ライヴなので様々な雑音が入るのは気にならないが、弦楽器の音がガサガサなのが大きなマイナスポイント。しかし、決して我慢ができないほどのマイナスじゃない。最初は気になったが、聞き進むうちにそんなのは気にならなくなってくるし、それ以上の大きな魅力があるのも事実だ。

在りし日のクライバーの疾走するタクト、脂の乗ったオブラスチョーワのメゾは素晴らしいし、若き日のドミンゴの熱唱に会場から熱い拍手が贈られているのを見ることができる。合唱団の演技も隅々まで行き届いていて、タバコ工場のタバコをふかす女工たちのリアリティや、喧嘩のシーンなどは、迫真の演技を見て取れるはずだ。

これが990円なら文句なく安いし、今後の発売予定を見ても1,990円なら買ってみようかなと思わせるものが多い。次号の「椿姫」は、ゲオルギューの美貌と演劇的な演出で評判になったコヴェントガーデンのもので、1994年の収録だから画質・音質も良いはず。これは「買い」です。「蝶々夫人」は、ワダエミの衣装も話題になった2004年収録だから、これも「買い」。・・・結局、かなりの枚数を買ってしまうかもしれないなぁ。

posted by のら at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | opera

2009年06月27日

ボリショイ・オペラ 「スペードの女王」と「エフゲニー・オネーギン」

ワタシがはじめて行った来日オペラは、かれこれ??年前のボリショイ・オペラ。そのときは「ボリス・ゴドノフ」、「エフゲニー・オネーギン」、そしてR・コルサコフの「金鶏」の3演目を観たような記憶がある。まだベルリンの壁が崩壊する前で、ボリショイオペラは伝統的な演出で重厚な舞台装置、豪華な衣装と、当時のソ連の底力を示していた。しかし、その直後、ソ連の社会体制が崩壊し、ボリショイ劇場もしばらくは低迷期を迎えたのだろうか、その後のボリショイ・オペラは目先の斬新さばかりを狙った演出が目立ち、むしろゲルギエフに率いられたキーロフ歌劇場(マリインスキー歌劇場)に注目が移っていった。

今回は、久しぶりのボリショイ・オペラの来日公演は、チャイコフスキーの2演目。主催のジャパンアーツは集客には相当苦労したみたいで、会員向けにかなりも割引のチケットが用意されたにもかかわらず、NHKホールと東京文化会館にはかなりの空席が目立った。

2009年6月21日(日) 14:00〜17:30   
チャイコフスキー 「スペードの女王」 3 幕 7 場
音楽 : ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
台本 : モデスト・チャイコフスキー
  アレクサンドル・プーシキンの同名の小説に基づく
音楽監督 : ミハイル・プレトニョフ
演出 : ワレリー・フォーキン
舞台装置 : アレクサンドル・ボロフスキー
合唱指揮 : ワレリー・ボリソフ
照明 : ダミール・イズマギロフ
振付 : セルゲイ・グリツェイ
指揮 : ミハイル・プレトニョフ

[ 出 演 ]  
ゲルマン : ウラディミール・ガルージン
トムスキー伯爵(ゲルマンの友人) : ボリス・スタツェンコ
エレツキー公爵(リーザの婚約者) : ワシリー・ラデューク
伯爵夫人(リーザの祖母) : エレーナ・オブラスツォーワ
リーザ(伯爵夫人の孫娘) : エレーナ・ポポフスカヤ
ポリーナ(リーザの友人) : アンナ・ヴィクトロワ
マーシャ(リーザの召使) : アンナ・アグラトワ
チェカリンスキー(ゲルマンの友人の近衛仕官) : ヴャチェスラフ・ヴォイナロフスキー
スーリン(ゲルマンの友人の近衛仕官) : ヴャチェスラフ・ポチャプスキー
ナルーモフ(ゲルマンの友人の賭博師) : ニコライ・カザンスキー
チャプリツキー(ゲルマンの友人の賭博師) : ユーリー・マルケロフ
家庭教師 : エフゲニア・セゲニュク
式典長 : セルゲイ・オルロフ
ミロヴゾール(劇中劇のダフニス) : アンナ・ヴィクトロワ
ズラトゴール(劇中劇のプルートー) : ボリス・スタツェンコ
プリレーパ(劇中劇のクロエ) : アンナ・アグラトワ
児童合唱 : 杉並児童合唱団(合唱指揮:津嶋麻子)
ボリショイ劇場管弦楽団・合唱団  
【上演時間】 約3時間30分 【終演予定】 17:30  
第1幕 (第1場・第2場) ・第2幕(第3場)100分
-休憩 30分-
第2幕 (第4場)・第3幕(第5場・第6場・第7場) 70分

まず「スペードの女王」だが、印象に残ったのはガルージンの劇的な歌唱のド迫力と、かつての名歌手オブラスチョーワの圧倒的な存在感だ。ガルージンは、たぶんこの役を演じさせたら、この人の右に出る人はいないだろうと思うほど、正気を失ったゲルマンになりきっている感じがする。オブラスチョーワは、とっくに第一線から引退した人だと思っていたけど、カードの秘密を握る伯爵夫人を演じさせたら、ものすごい迫力を感じさせる。他の歌手も悪くなかったが、圧倒的な存在感を感じさせたのは、この二人だ。プレトニョフが振るボリショイ劇場管弦楽団も、昨年のボリショイバレエのときよりもアンサンブルが整った良い演奏を聴かせてくれた。

しかし、残念ながら演出は面白くない。一貫して、橋をモチーフにした2階建て構造のステージで舞台が進むのだが、舞台設定を抽象化しすぎ。この舞台装置を一貫して使うことによって、登場人物や物語の新たな側面が見えてきたかというと、そんなところは全然なくて(私だけか?)、全体を通してみると演出家の頭の中で自己完結しているだけで、観客の立場からすると演出家の自己満足につき合わされているだけ、という感想を禁じえなかった。

2009年6月25日(木) 18:30〜21:40   
チャイコフスキー 「エフゲニー・オネーギン」  叙情的情景 全7場
音楽 : ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
台本 : ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
コンスタンチン・シロフスキー
アレクサンドル・プーシキンの同名の長編詩に基づく
音楽監督 : アレクサンドル・ヴェデルニコフ
演出 : ドミトリー・チェルニャコフ
舞台装置 : ドミトリー・チェルニャコフ
衣装 : マリア・ダニロワ
照明 : グレブ・フィルスティンスキー
合唱指揮 : ワレリー・ボリソフ
指揮 : アレクサンドル・ヴェデルニコフ
[出 演] 
ラーリナ(地方の女地主) : イリーナ・ルブツォワ
タチアーナ(ラーリナの姉娘) : エカテリーナ・シチェルバチェンコ
オリガ(タチアーナの妹) : スヴェトラーナ・シーロワ
フィリーピエヴナ(タチアーナの乳母) : イリーナ・ウダロワ
エフゲニー・オネーギン(レンスキーの友人) : ワシリー・ラデューク
レンスキー(オリガの婚約者) : ロマン・シュラコフ
グレーミン公爵(熟年の貴族/後のタチアーナの夫) : アレクサンドル・ナウメンコ
ザレツキー : ワレリー・ギルマノフ
ボリショイ劇場管弦楽団・合唱団  
【上演時間】 約3時間10分 【終演予定】 21:40  
第1幕・第2幕 120分
- 休憩 30分 -
第3幕 35分

この「オネーギン」はスバラシイ舞台だった。なんの予備知識もなく、この舞台を見に行ったんだけど、最初の場面から巨大な楕円形のテーブルに30人以上の人たちが賑やかに食事をとっているシーンから始まるのにビックリ! タチアーナもその円卓の中の一人なのだが、ここは自分の居場所ではないと言いたげな様子。この楕円形の巨大なテーブルは、終幕まで一貫して使われているのだが、常にこのテーブルは社会やコミュニティを象徴している。

最初のシーンでは、地主のラーリナを中心とした社会を示し、終幕では豪華な食事をとりながら歓談している貴族社会を表す。そして、最初はタチアーナが社会に馴染めなかったのに対し、最後はオネーギンが貴族社会に拒絶されて入り込めない様子が描かれる。この円卓を用いることによって、その人間関係を浮き彫りにし、象徴化する効果を生み出している。実に素晴らしいアイデアだ。豪華な舞台装置、本物志向の調度品、円卓の皿の上の食事のほとんどはホンモノのデザートが用意されていると思われ、視覚的にも十分に楽しめる。

印象に残った歌手は、レンスキーを歌ったシュラコフ。柔らかい歌声と、この物語のさまざまな動機を描き出す演技力は見事。傑出した歌手はいなかったが、どの歌手も水準を超えているし、何よりも演出の意図が貫かれていて、演技力がヒジョーに高い。その意図は合唱団の隅々にまで徹底されているし、ロシア的な空気感を感じさせる重心の低い合唱は、ボリショイならではのもの。

ワタシがこれまでに観たオネーギンの中では、文句なくナンバーワンの舞台。やや管弦楽が荒さを感じられたのがザンネンだったけど、その程度のことは問題にならないほど、良い舞台だったと思う。

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2009年06月14日

ロッシーニ「チェネレントラ」@新国立劇場

6月12日の金曜日は、新国立劇場のオペラ・いつもどおり6時半の開演だと思って急いで行ったら、まだ大劇場エントランスのシャッターが閉まっていて、あれっ? 昨日は午後7時開演ですた(汗)。おかげで終演は、午後10時過ぎ。まぁ、金曜日だから遅くなってもいいけどね。

座席は、ワタシが見渡した範囲は満席の状態。今回の豪華キャストを見れば、この客の入りはトウゼンの結果かな・・・ロッシーニはあまり馴染みのないワタシですら心トキメクキャスティングなんだから。

20090612

【作 曲】ジョアキーノ・ロッシーニ
【台 本】ジャコモ・フェレッティ
【指 揮】デイヴィッド・サイラス
【演出・美術・衣裳】ジャン=ピエール・ポネル
【再演演出】グリシャ・アサガロフ
【演技指導】グリシャ・アサガロフ/グレゴリー・A.フォートナー

【ドン・ラミーロ】アントニーノ・シラグーザ
【ダンディーニ】ロベルト・デ・カンディア
【ドン・マニフィコ】ブルーノ・デ・シモーネ
【アンジェリーナ】ヴェッセリーナ・カサロヴァ
【アリドーロ】ギュンター・グロイスベック
【クロリンダ】幸田 浩子
【ティーズベ】清水 華澄
【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

演出は、オーソドックスなポネルのもの。没落した男爵の家で繰り広げられるシンデレラ・ストーリーだ。喜劇なので、かなり高度な演技力が要求されるけど、その点では日本人キャストを含めてみんな水準を超えた内容を見せてくれた。満足。

ただし歌ではちょっと違和感が残った。一番大きい違和感は、主役カサロヴァの声・・・・カサロヴァってあんなに重い声だったっけ?前にも聴いたことがあるはずなんだけど、ロッシーニを歌う主役のメゾは、脂の乗った艶やかな声と、軽やかな歌いクチが必要だと思うのだが、カサロヴァのこの日の声は重いだけで艶が乏しく、歌いクチも悪くはないが声が重いので軽やかには聞こえない。これ、シンデレラの声ですか?とてもそうは思えないデス!

対する王子を歌ったシラグーザ。こっちは最高!彼の声が響くとホールも共鳴して艶やかに響きわたる。その密度の高い高音は、それだけでカイカン、第2幕では大きな拍手に応えてアンコールも疲労してくれた。王子の従者を歌ったカンディアは、歌では少々違和感があったが、演技力は抜群。哲学者のシモーネは、声量は控えめながら説得力の求められる役どころを好演。そして継父のグロイスペックは、没落した男爵をコミカルに演じ、その歌唱も男爵の軽薄さをイイ意味で感じさせるもの。この日、シラグーザに次ぐ内容を見せてくれたんじゃないかな。幸田&清水の姉妹も、実にいい味を見せてくれた。

オーケストラピットは上から見るとスカスカで、かなりの少人数。弦楽器はたぶん9型くらいで、実際、オケの響きはかなり薄かった。もう少し人数を増やしてもイイと思うんだが、ロッシーニは声を楽しむオペラだからということで、あえてオケを薄めにしたんだろうと思う。

久々に聴いたチェネレントラ・・・・たしか藤原歌劇団の1991年以来だったけど、意外とその時の旋律を思い出すことができた。かなりの名歌手を集めないと上演できない演目だけに、シラグーザの声を聴くためだけでも行く価値は十分にある。カサロヴァの声は好みの問題かもしれないけど、その他は概ね満足デス。

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2009年05月02日

ショスタコーヴィチ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」@新国立劇場

(暫定版)

5月1日は、新国の「ムツェンスク郡のマクベス夫人」の初日。仕事が押してしまって開演時間に間に合うかどうか危なかったけど、新宿駅からタクシーに乗ってオペラシティの角に着いたのは開演10分前。やっぱりタクシーは速い。コンビニでサンドイッチと紅茶を買って会場に入る余裕ができた。客席にはちょっと空席があったけど、それでも9割以上は入っていたのではないか。マイナーな演目にしては、まぁまぁといったところか。

とりあえず暫定版なので結論だけ。音楽的水準、演出のレベルともに、とても高いっ!その意味では大満足だし、ショスタコーヴィチの音楽が好きなら絶対に見ておくべき上演だと思う。しかし一方で、誰にでもオススメできる演目とは言いがたいのも事実。救いのないストーリーの結末、あらわになる性的な描写、・・・・やはり見ていて重苦しい気分になる人は多いと思う。この演目をみるのは3回目だが、そんな私でも終演後の気分はいいものではなかった(爆)。

「カルメル会修道女の対話」「ヴォチェック」とともに、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」は現代オペラの三大傑作のひとつとワタシ的には思っているんだけど、やっぱり聴いていて疲れる演目だな・・・これは。

【ボリス・チモフェーヴィチ・イズマイロフ】ワレリー・アレクセイエフ
【ジノーヴィー・ボリゾヴィチ・イズマイロフ】内山 信吾
【カテリーナ・リヴォーヴナ・イズマイロヴァ】ステファニー・フリーデ
【セルゲイ】ヴィクトール・ルトシュク
【アクシーニャ】出来田 三智子
【ボロ服の男】高橋 淳
【イズマイロフ家の番頭】山下 浩司
【イズマイロフ家の屋敷番】今尾 滋
【イズマイロフ家の第1の使用人】児玉 和弘
【イズマイロフ家の第2の使用人】大槻 孝志
【イズマイロフ家の第3の使用人】青地 英幸
【水車屋の使用人】渥美 史生
【御者】大槻 孝志
【司祭】妻屋 秀和
【警察署長】初鹿野 剛
【警官】大久保 光哉
【教師】大野 光彦
【酔っ払った客】二階谷 洋介
【軍曹】小林 由樹
【哨兵】山下 浩司
【ソニェートカ】森山 京子
【年老いた囚人】ワレリー・アレクセイエフ
【女囚人】黒澤 明子
【ボリスの亡霊】ワレリー・アレクセイエフ

【合 唱】新国立劇場合唱団

【指揮】ミハイル・シンケヴィチ
【管弦楽】東京交響楽団

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2009年04月05日

「ワルキューレ」@新国立劇場 (4/3初日公演)

4月3日は、先月の「ラインの黄金」に続く「ニーベルングの指輪」のチクルス公演のつづきで、第一夜「ワルキューレ」だ。ホントは12日(日曜日)の公演を会員向け優先発売で申し込んでいたんだけど、今回のワルキューレは休日公演が1回しかないために申し込みが集中したらしく、ワタシはあえなく落選、やむなく休暇をとって初日の公演を見に行ったというワケ。今回は、な・なんと2万円近く払ってA席を購入し、2階正面1列目を確保。適度な高さがあって、すごく見やすい!

さて、前回、このワルキューレが上演されたのは2002年3月のこと。その時のワタシのHPを見ると、A・Bキャストを合わせて3回も見に行っているのだが、記憶というのは薄れ行くもので(爆)、7年もたつと前回の演出のことを忘れていて、意外と新鮮な気持ちで見ることができた。それにしても5時開演で、終了は10時半、・・・新国立劇場の椅子は座り心地がイイとはいえ、さすがに5時間半は長かった。では、「ラインの黄金に続いて、7年前のメモを引用しつつ・・・。

 まず特筆するべきは、昨年の「ラインの黄金」で話題になったキース・ウォーナーの演出である。今日の段階では、あまりネタバレしないほうが良いと思うが、ちょっとだけ(^_^;)。多くの場面でヴォータンの赤い槍が効果的に用いられ、ストーリーを操っている意図が明白にされている。特に第一幕のフンディングの家のトネリコの木は、ヴォータンの巨大な槍そのものだし、第2幕でヴォータンが地図に刺す3本の槍が、地図の上を逃避する兄妹のシーンでも効果的に用いられる。ブリュンヒルデの登場シーンは爆笑モノ(まだヒミツにしておきます)だが、意図はよく解らない。度肝を抜かれるのは第3幕冒頭で、ワルキューレたちの「職業」設定は、きっと誰もが驚かされるだろう(これもヒミツ)。ある意味で「ラインの黄金」以上にアイデアが満載で、すべての幕でどの場面でも斬新な趣向が凝らされている。その趣向も場当たり的な感じはなく、「ラインの黄金」からの一貫したポリシーのもとに計画されているのは一目瞭然である。ワタシ的に唯一不満だったのは第3幕のヴォータンとブリュンヒルデの別れのシーンで、ここはアイデアの凝らしすぎ。幼児退行的な小道具を用いて、ブリュンヒルデを鉄板焼きにする必要はないのではないか?(^_^;) 別れの情感が削がれてしまったと思うのはワタシだけだろうか。。(02/03/26)

ここでまだヒミツとしているブリュンヒルデの登場シーンは、子ども用の木馬のおもちゃ=グラーネに乗って登場というもの。ヴォータンの赤い槍は、冒頭のフンディング家を貫くオブジェとして登場し、この兄妹の近親相愛のストーリーは映画監督たるヴォータンによって脚本が書かれていることを示している。また第二幕第一場でも、ヴォータンが地図上に打ち込んだ3本の小さな槍が、第二場ではステージの床一面に広げられた大きな地図上で、HUNDINGHUTTE(フンディングの家)、NEIDHOHLE(ファフナーが大蛇に変身している洞窟)、WÖLSUNGEN(ヴェルズング族=ジークムントとジークリンデ)を示すのだ。

20090404

そして、下記は、7年前に3階の公演を見終わった後に書いたもの。今回、読み直してみても当時の感想がそのまま当てはまる。

私はどちらかと言うと鈍感なほうなのかもしれないが、1回見ただけでは演出の意図がはっきりとは掴めず、2回、3回と繰り返してみることによって新たな演出の側面が見えてきて、それぞれの回で新しい発見があって面白かった。そして私が見たキース・ウォーナーの演出は、表面的には非常に斬新だけど、内容的には「保守的」と言ってもいいほど「リング」の筋書きに忠実だろうと思った。私の知り合いでも、初めて「リング」を見た人もいたのだが、そのいずれもが斬新だとは言いつつも、違和感なくこのストーリーに馴染んでいたようである。

例えば、第1幕でジークリンデが性的な夢を見て身もだえし、眼が覚めて睡眠薬を飲もうとしていたら、そこへジークムントが入ってきて、それを隠してしまう。結局、その睡眠薬は、フンディングに飲まされることになるのだが、このあたりはワーグナーのト書きには無い演出かもしれない。しかし、のちのちのストーリーへの布石が組み込まれた、違和感のない導入部である。人によっては過度に説明的という向きもあろうが、私はそうは思わない。

何よりも面白かったのが、やはりワルキューレの設定であろう。看護婦?医者?いや私は遺体処理人のような設定に近いと思ったのだが、いずれにしても、ストレッチャーを馬に見立てた演出とあわせ、これほど斬新でありながら、誰もが納得できる設定が他にあるだろうか!!!戦場で死した勇者を集め、ワルハラに集める仕事の設定を、現代の職業にダブらせるとしたらこれ以上に適当な役割があるだろうか。

今回の演出で特徴的だったのは、デフォルメされたスケール感である。フンディングの家が巨人の家のようにデフォルメされたスケールであり、そして兄妹が逃げるのが縮小された地図の上。第2幕のブリュンヒルデが乗って登場するグラーネは子供用の木馬だが、第3幕の父娘のやり取りのシーンでは巨大な馬のモニュメントとして登場する。そして神性を奪われたブリュンヒルデが眠る「燃えるベット」や目覚まし時計は巨大となり、その時には神性を奪われたであろうグラーネも小さくなっている。このデフォルメされたスケール感が何を表しているか、その解釈は今現在、私たち一人ひとりの感性にゆだねられているのだが、私はそれぞれのシーンで登場する人物の相対的なスケール感を表しているものだろうと感じた。

また、ブリュンヒルデを幼児的に描く場面があったが、これは第2幕冒頭と、第3幕後半で、いずれもヴォータンとの対比の中でそのように描かれている。その一方で、第2幕後半、ジークムントにワルハラにくるように諭すシーンでは、ブリュンヒルデから幼児性を感じることは出来ない。このようにウォーナーは、デフォルメされたケール感や強調された幼児性を、相対的な人間関係のシンボルとして描こうとしていたのではないか。例えば、ジークムントから見たらブリュンヒルデは神々しい存在でも、ヴォータンから見たら、ブリュンヒルデは「幼児」なのである。このようにすべての関係を相対性の中でデフォルメして描くことによって、絶対的存在に思われがちの神々の存在も相対的ななる。少なくとも、私が見た「リング」の中で、ヴォータンをはじめとした神々がこれほど悩み、打ちひしがれ、嘆く・・・つまり「人間的」に描かれた例は知らない。

今回の「ワルキューレ」の中でウォーナーが込めたメッセージが、私が受け取ったものと同一かどうかは自信はない。しかし、来年の「ジークフリート」、再来年の「神々の黄昏」の中で、その意図は明らかになるだろう。その時が来るのが、実に楽しみである。(02/04/09)

今回の公演の歌手も、とても素晴らしかった。ジークリンデ、ブリュンヒルデともに、尋常ならざる声量があり、ドラマチックな表現に長けている。ただし、両者とも声質が似ていて・・・よく聴くとジークリンデのほうが暗めの声なんだけど、キャストを入れ替えても違和感がないかも。どちらも表現は一本調子になってしまう面もあって、その点の評価は分かれるかも。

フンディングも、非常に威厳があって迫力がある。どう考えてもヴォータンよりも強そうな声なのが奇妙な違和感を生み出していて面白いのだが(爆)、7年前のキャスティングでもヴォータンは理性的で実業家的な雰囲気をかもし出していた。ヴォータンに軽めの声を選んでいるのは、演出家の意図的なものだと考えるほうが自然だろう。ジークムントは声量的には若干不足気味なのだが、ルックスがカッコ良く、輝かしい声もイイ。

エッティンガー指揮の東京フィルも熱演。弦楽器の音の厚みや、金管、特にホルンの音程などで不満がなくはなないが、これだけの長丁場をテンション多角演奏したことは高く評価していいと思う。

今回の再演は、見に行くのは1回だけ。初演から7年後に「ワルキューレ」を見直してみても、やはりぜんぜん古くなっていない。この先も、この演出は、新国立劇場の看板プロダクションとしていき続けていくのではないかと思う。

【ジークムント】エンドリック・ヴォトリッヒ
【フンディング】クルト・リドル
【ジークリンデ】マルティーナ・セラフィン
【ヴォータン】ユッカ・ラジライネン
【ブリュンヒルデ】ユディット・ネーメット
【フリッカ】エレナ・ツィトコーワ
【ゲルヒルデ】高橋知子
【オルトリンデ】増田のり子
【ワルトラウテ】大林智子
【シュヴェルトライテ】三輪陽子
【ヘルムヴィーゲ】平井香織
【ジークルーネ】増田弥生
【グリムゲルデ】清水華澄
【ロスヴァイセ】山下牧子
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指 揮】ダン・エッティンガー
《初演スタッフ》
【演 出】キース・ウォーナー
【装置・衣裳】デヴィッド・フィールディング
【照 明】ヴォルフガング・ゲッベル

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2009年03月15日

プーランク「カルメル会修道女の対話@新国オペラ研修所

3月14日(土)、かねてから念願だった「カルメル会修道女の対話」を、新国立劇場の中劇場で再び見ることができた。前に見たのは、今から11年前の1998年9月、松本で行われたサイトウキネン・フェスティバルだったが、そのときの衝撃と感動は今でも忘れられない。

その時以来、「もう一度、このオペラを見たい」と念じてきたのだが、今回の公演はオペラ研修所の公演ということもあり、ちょっと二の足を踏んでいたのだが、当日になって予定が空いて劇場に電話したら当日券が一枚だけ残っているとのこと。迷わず最後の一枚を予約して、初台に向かったというワケ。劇場に着くと当日券売り切れでキャンセル待ちをする人もいるほどで、会場はもちろん満員!若手の研修公演としては異例の注目度ではないだろうか。

さて、この演目は、フランス革命の中で弾圧されたカルメル会修道女たちが、自らの信教を守るために処刑されてしまうのがストーリーの要旨であり結末だが、このオペラはそこに至るまでの修道女たちの心の揺れ動きが焦点となっている。日本人にはなかなか殉教をテーマにした作品は馴染みにくいかもしれない。日本でも遠藤周作原作の「沈黙」というオペラもあるけど、これもキリスト教をテーマにした作品だ。美しいアリアなどはないものの、20世紀の作品としては音楽はとても平明だ。

研修所の公演ということもあり、サイトウキネンのときと比べるまでもなく舞台装置は簡素だが、照明が巧みに使われていて不足感はない。この演目は、修道女たちの微妙な心の揺れ動きがテーマなだけに、むしろシンプルな舞台装置のほうが望ましいかもしれない。

それにしても、この日の公演は、研修所の公演というレベルを超えて、とても深い感動を聴衆に与えたと思う。歌唱に神経が行き過ぎるあまり演技がぎこちなくなってしまう一面も垣間見えたが、丹念なレッスンを積み重ねた成果は特筆すべき水準を獲得していたといってよいのではないか。でも、念のため言っておくけど、もちろんSKFの方が私の中では圧倒的に上であることは言うまでもない、・・・・けど、日本人の若手を主体とした上演でこれだけのレベルの上演に出会えるとは思っても見なかった。。中ホールという小さな空間だけに、声量的には大きな負担がなかったことも幸いしたのかもしれないが。

まずはブランシュを歌った木村眞理子、役柄になりきって微妙な心理のゆれ動きを再現する演技も素晴らしく、この日、一番印象に残った歌手だ。そしてコンスタンスの山口清子、快活な修道女を演じる演唱もブランシュと対照的で、その心理的なコントラストを明確にして見せてくれた。マザー・マリーを演じた塩崎めぐみ、マザー・ジャンヌを演じた小林沙季子も印象深い。管弦楽では、中ホールのオケピットの狭さ=編成の小ささが原因だと思うけど、弦楽器の音量が不足していて、細やかなニュアンスが伝わらないもどかしさを感じたものの、まずまずの水準。

最後に、11年前にワタシが書いた文章を一節。

修道女たちは捕らえられ、裁判で断頭台に送られることが決まる。十数人の修道女たちが「めでたし、天の元后」を歌いながら断頭台に進んでいく。断頭台への13階段は金色の神への国への入り口のようにも描かれているが、ギロチンの音がするたびに修道女たちの合唱の声が減っていく劇的効果は、いかに言葉にすればいいのか。死を恐れるのも自然な感情であるならば、仲間の死を見過ごせないのも社会的存在である人として自然な感情であろう。「個の存在」としての感情と「類」の存在としての感情の相克、その二律背反の中で、ブランシュは自らの死を決意する。群衆の中で処刑を見ていたブランシュは友人の修道女コンスタンスに続いて断頭台に上り、「来れ、精霊」の最後の一節も途切れ、沈黙がホールを包み込む。このラストシーンを見て、誰が拍手することが出来ようか? すべてがレチタティーヴォでつながれていて、耳に馴染みやすいアリアなどは一切無し。決して難解な音楽ではないけれど、緊張感ある音楽が続いて、前半はいささか説明的過ぎるのでは・・・と思ったけど、ラストのシーンを見ると、そのすべてが必然性で溢れ、一切の無駄がないようにすら思えてくる。

今回の舞台では、13階段はなく、舞台奥にいる修道女たちが一人づつ前に進み出て、ギロチンの音とともに修道女たちが崩れ落ちる。最後にコンスタンスが断頭台に進み出るときにブランシュが舞台脇に現れて、コンスタンスの後に続く・・・。そして沈黙。

終焉後のカーテンコールは、もはや研修所の発表会というレベルを超える評価だったと思う。できれば、大ホールでこの演目を見たいものだ。

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【作曲】F. プーランク
【台本】ジョルジュ・ベルナノスによるテキストより
【指揮・音楽指導】ジェローム・カルタンバック
【演出・演技指導】ロベール・フォルチューヌ
【ヘッド・コーチ】ブライアン・マスダ
【管弦楽】東京ニューシティ管弦楽団

ド・ラ・フォルス侯爵 岡 昭宏(12・14日) 駒田 敏章(13・15日)
ブランシュ・ド・ラ・フォルス 木村 眞理子(12・14日) 上田 純子(13・15日)
騎士 糸賀 修平(12・14・15日) 城 宏憲(13日)
マダム・ド・クロワッシー 茂垣 裕子(賛助出演/12・14日) 小林 紗季子(13・15日)
マダム・リドワーヌ 高橋 絵理(12・14日) 中村 真紀(13・15日)
マザー・マリー 塩崎 めぐみ(12・14日) 堀 万里絵(13・15日)
コンスタンス修道女 山口 清子(12・14日) 鷲尾 麻衣(第7期修了生/13・15日)
マザー・ジャンヌ 小林 紗季子(12・14日) 茂垣 裕子(賛助出演/13・15日)
マチルド修道女 東田 枝穂子(全日)
司祭 中嶋 克彦(12・14・15日) 糸賀 修平(13日)
第1の人民委員 村上 公太(第6期修了生/全日)
第2の人民委員 駒田 敏章(全日)
看守 近藤 圭(全日)
ティエリー(従僕) 能勢 健司(全日)
ジャヴリノ(医師) 能勢 健司(全日)
役人 駒田 敏章(全日)

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2009年03月08日

ワーグナー「ラインの黄金」@新国立劇場

3月8日(土)は、待望の「ラインの黄金」の再演初日。新国立劇場で創造されたプロダクションで、もっとも評価が高かったプロダクションだけに、ワタシ的にも再演を待ち望んでいた「ニーベルングに指輪」の幕開けだ。客席は、土曜日の公演ということもあって、ほぼ満席の盛況だった。

【作曲/台本】リヒャルト・ワーグナー
【指 揮】ダン・エッティンガー
《初演スタッフ》
【演 出】キース・ウォーナー
【装置・衣裳】デヴィッド・フィールディング
【照 明】ヴォルフガング・ゲッベル

【ヴォータン】ユッカ・ラジライネン
【ドンナー】稲垣俊也
【フロー】永田峰雄
【ローゲ】トーマス・ズンネガルド
【ファーゾルト】長谷川顯
【ファフナー】妻屋秀和
【アルベリヒ】ユルゲン・リン
【ミーメ】高橋 淳
【フリッカ】エレナ・ツィトコーワ
【フライア】蔵野蘭子
【エルダ】シモーネ・シュレーダー
【ヴォークリンデ】平井香織
【ヴェルグンデ】池田香織
【フロスヒルデ】大林智子
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

このTokyo Ringの「ラインの黄金」が初演されたのは、2001年のこと。いまから8年も前になるのだが、改めてみてもいささかも古さを感じない。現代的な演出だと、数年すると時代にそぐわなくなったり、古さを感じたりするものだけど、このキース・ウォーナーの演出は現代的でありながらも「抽象的」なので、短期間で朽ちてしまうような演出ではないのだろうと思う。で、8年前にこのHPで書いた感想がそのままあてはまってしまうので、再掲(爆)。

昨日(4/1)は新国立劇場が4年がかりで挑むワーグナーの超大作「ニーベルングの指輪」チクルスの初年度、「ラインの黄金」を観に行った。言うまでもなく歌劇場にとって「指輪」のプロダクションを持つことは一つのステイタスであり、今年度の国内で上演されるオペラの中でも最大級の注目を集めている上演である。残念ながらフレンツェ歌劇場の関係で3/30の初日公演を見ることは出来なかったけど、Aキャスト2日目の公演を見ることが出来た。

まず結論から言うと、この「ラインの黄金」は新国立劇場始まって以来、最高の成果を上げたといってよいのではないだろうか。昨年の「ドン・キショット」も新国の大きな成果に数えられることが多いけれども、あちらは輸入プロダクションという性格が強いので、私は新国の独自性の強い「ラインの黄金」に軍配を上げたい。
その最も大きな功労者は演出家のキース・ウォーナーである。これまでビデオで見てきたシェローやレーンホフなどの演出と比しても見劣りすることのない、・・・いやむしろウォーナー演出の方がより「現代社会」で共感を呼ぶことの出来るタイムリーな演出であろうと思う。

●第1場。
映像を多用するのは最近の演出の流行なので、特に珍しいことではないけれど、最初っからヴォータンが映写機の横に座ってなにやら映画を投影しているというシーンから始まる。そしてライン川のシーンは映画館の中という設定。川の流れはいびつな四角形のスクリーンに映し出される。アルベリヒは猿人の仮面で登場したけど、どういう意味かは不明。
ラインの乙女は最初、白くて小さなきぐるみの可愛い動きで笑わせてくれたけど、その後は白いミニのワンピースに変身。身をくゆらせたり、足を上げたりしてアルベリヒを誘惑し、ラインの黄金が映画のスクリーンに映し出されると白い競泳用の水着に水中メガネまでつけて登場。まるで競泳の表彰台で金メダルを受け取るか、シンクロナイズドスイミング風の動作が可笑しい。
黄金が登場する際のスクリーンには、なにやら数式らしきものがたくさん映し出され、黄金はジグソーパズルとして登場してくるが、なにやら暗号化された指輪のや隠れ頭巾の製造法を書いた設計図を象徴しているのかもしれない。愛を諦めたものだけが、そのジグソーパズル化された設計図をを完成することができるという趣向なのだろう。そしてアルベリヒが水の中に飛び込むと、彼はスクリーンの中で遊泳しているという趣向で、ジグソーパズルのひとつを抱えて、ヴォータンとすれ違う。

●第2場。
舞台は第一場のスクリーンと同じ形に切り抜かれた舞台の中で展開する。つまり先ほどの映画の延長線上というわけだ。ヴォータンの部屋は、ワルハラ城への引っ越しに備えたダンボールで置かれたきれいな事務所風の部屋。ヴォータンは過去の栄光にすがる実業家といった感じで、新築したワルハラ城の図面を見ながら悦に入る。フリッカはヴォータンの会社の重役的なキャリアウーマンという趣向で、ヴォータンの現実逃避にあきれている。
フライアは水色のフリフリ・ドレスを着ている原宿にいそうなねーちゃん。フローは、事ある毎にビデオをまわしている映画青年で、ドンナーも含めて3人とも定職を持っていないパラサイト・シングル風なところが面白い。
サーチライトとともに窓から登場したファゾルト&[ファフナーは、さながらマフィアか巨大なブルース・ブラザーズみたいな感じで、黒のスーツを着込んでいる。ヴォータンへの債権取立てを依頼されたヤ○ザなのか、それともゼネコンなのか。
閃光とともに引越し用ダンボールの中から登場したローゲは、手品師の衣装。実際にハンカチから花を出してフリッカに贈ったりするが、タバコをくわえてマッチを探すが見つからず、タバコを放り投げるシーンは、火の神であるにも関わらずなんとなくイカサマ師っぽい。このように、どの登場人物にも、現代社会と意識的にダブらせているのだが、それが意外なほどピッタリと指輪の登場人物と重なってしまうのだ。
フライアが巨人族に連れ去られた後、神々はフライアだけが育てられる金の林檎を失って苦しむが、ヴォータンは最後にフライアが1個だけ残していった林檎を得て、ローゲと共にニーベルハイムへ向かう。

●第3場。
「NIBELHEIM」の文字がさかさまなのは、天上界との対比を強調するためだろう。ステージ上はまず、失われた黄金を探すラインの乙女たちがさまよい歩く。アルベリヒの部屋は意外ときれいな事務所風。机の上には、「隠れ頭巾」(←この演出ではゴーグルみたい)の設計図らしきものと大きなナイフがが置かれている。アルベリヒはキンキラキンのジャケットに真っ赤なコメディアン風の衣装で、いかにも成り上がり者。この場面での特徴は、街の娼婦らしき女性が連れてこられ、アルベリヒに暴力的に犯されるようなシーンがあること。彼女はのちにハーゲンの母親になるんだろうけど、愛を諦めても、女は金で解決できるというセリフを実際の舞台で説明的に扱っている。
アルベリヒの変身は、透明人間になるときには「e=mc~2」のアインシュタインの相対性理論の公式(何でだ?)が出され、大蛇の時にはゴジラ風の絵、蛙の時にはそのまま蛙の絵が黒板に書かれているのが妙に親切。大蛇はそれなりに大掛かりだが、尻尾と頭だけというのはなんか中途半端な感じ。
蛙とになったアルベリヒがヴォータンに捕らえられた後、ミーメはアルベリヒのジャケットをまとい、彼の机に残された書類をむさぼるように読む。そこへ先ほどの娼婦が戻ってくるのだが、これは「ジークフリート」への伏線であることは言うまでもない。

●第4場。
ふたたびヴォータンの部屋だが、すでに荷物は運び出されている。蛙として捕らえられ、カバンに閉じ込められたアルベリヒが、その小さなカバンの中から登場するシーンはタネが解っていてもその流れが自然で、見事な仕掛けだと思う。アルベリヒが身代金を運ぶニーベルング族に嘲笑されるシーンは、暴力で支配する者の行く末を暗示している。アルベリヒの指輪が奪われるシーンでは、ヴォータンにナイフで指ごと切り落とされる設定となっていて、かなり恐ろしげ。(そのナイフはもともとアルベリヒの机にあったものである) そしてアルベリヒは指輪にのろいをかけた後、そのナイフを使って自傷(「男性生殖器を自ら・・・」という演出の意図である、という指摘を頂きました)するところは新機軸。
ファフナー&ファゾルトがフライアを連れて戻ってくる。フライアに未練を残すファゾルトと、権力志向の強いファフナーの対比は、これまでの演出以上に強調されているのではないだろうか。巨人族が仲違いし、ファゾルトがファフナーを殺すシーンでは、ローゲが先ほどのナイフをファゾルトに手渡し、それをファフナーに何回も突き刺す。この演出でローゲは、この舞台の狂言回しというとても重要な役回りにされているとともに、アルベリヒの血塗られたナイフは、のちにヴォータンがワルハラ上に入場するシーンではノートゥングのライトモチーフとともに剣に「変身?」している。
ドンナーが雷を地面にたたきつけると舞台は奈落に落ち、背後に真っ白な舞台が登場する。これは城のエントランスか? そこには「WALHALL」の巨大なアルファベットが置かれ、壁の上にはなぜか番号付の黄色い番号の入った交通標識みたいなものがついている。色とりどりの風船が天上から降ってきて、それが虹の掛け橋というわけだ。
ファフナーが殺されて、その血を浴びたフライアだけが放心状態の暗い顔でWALHALLのアルファベットに寄りかかるが、真っ白な衣装に着替えたヴォータン以下の神々たちは晴れやかな顔で入場を祝す。世界各地の神々も招待され、キリスト、仏陀、日本代表としてイザナミ&イザナギ、その他アジアやアフリカらしき神々も招待状持参でワルハラ城へ入城していく。ローゲは手のひらに火をつけてタバコを一服。ラインの乙女達はホームレスとなってさまよう。この辺りは新国立劇場の舞台機能は最大限に発揮されている締めくくりで確かに面白かったが、ちょっと盛り上がりに欠けたのが残念。

●「トーキョー・リング」と呼ばれているこのプロダクションだが、具体的に東京の特定の場所が登場するわけではなく、東京という「地域性」にこだわった演出ではない。むしろ東京の「都市性」に由来する「社会性」「人間性」をリングの登場人物に重ね合わせているといったほうが正確だろうと思うし、その狙いは多くの部分で成功を収めているのではないだろうか。また娼婦=ハーゲンの母親、ナイフ=ノートゥングなど、随所に「ワルキューレ」以降への布石が置かれ、今後への興味をそそる演出である。現代的な演出は解りにくいと思われがちだが、このウォーナーの演出に限っては現代的であるがゆえに解りやすくなっていると思うし、随所に従来はなかったような説明的なシーンも挿入して、旧来の演出よりストーリーは解りやすくなっているのではないかと思う。

いやぁ、読み返してみると、前はこんな長文を書くパワーがあったんだなぁ・・・・と、いまさらながら当時の自分に畏敬の念を抱かざるを得ない(爆)。

キャスティングが変わった今回も、素晴らしい上演だった。音楽的には、エッティンガーが作り出すワーグナーは、特有のうねり感は希薄なれど、その音楽は実に明晰。東京フィルの演奏も素晴らしい演奏で、前回のチクルス後半のN響と比較しても決して劣ることのない水準だと思う。

ヴォータンのラジライネンは、威厳に乏しいけど、実業家的な位置づけの演出にはぴったりな歌を披露。ローゲのズンネガルドも、狡猾で理性的な歌声で、この物語の狂言回しを演じる。フリッカ以下の神たちも、神々しさは希薄で、むしろ人間くささが漂う演技と歌唱を聞かせてくれて満足。ファードルトとファフナーも心理的なコントラストの対比が良く出ていた。エルダの説得力のある深い歌唱は、短時間ながら素晴らしかったし、アルベリヒもこの日一番の拍手を集めていた。全体的な音楽的水準としては、軽めでポップな演出にマッチした申し分ない内容・水準だったと思う。

まだこのプロダクションを見ていない人はもちろんだが、8年前に見た人でも見る価値は十二分にあると思う。次回の「ワルキューレ」が楽しみ!

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2009年02月15日

ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」@二期会

2月14日(土)、前夜から春一番が吹いてポカポカ陽気の暑ささえ感じる陽気の中、東京文化会館で行われた二期会の公演に行ってきた。会場は概ね9割程度の入り。

指揮:アントネッロ・アッレマンディ
演出:宮本亜門
装置:松井るみ
衣裳:朝月真次郎
照明:沢田祐二
振付:上島雪夫
演出助手:澤田康子、眞鍋卓嗣
舞台監督:大仁田雅彦
公演監督:近藤政伸

ヴィオレッタ・ヴァレリー:澤畑恵美
アルフレード:樋口達哉
ジェルモン:小森輝彦
フローラ:小林由佳
ガストン子爵:小原啓楼
ドゥフォール男爵:鹿又 透
ドビニー侯爵:村林徹也
医師グランヴィル:鹿野由之
アンニーナ:与田朝子
ジュゼッペ:飯田康弘
仲介人:金 努
合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団 舞台写真はココ

まずは宮本亜門の演出から。これまで様々な椿姫の演出を見てきたけど、これまでこのように時代設定のない演出に接することはなかった。時代設定がないとは言っても、服装や舞台装置から判断すると、時代は20世紀以降だろう。無彩色の舞台装置は、まるで墓場のような雰囲気が漂う。照明で3Dっぽく見える白黒の壁面に、舞台中央には石棺のようなテーブル(ベッド?ソファ?)が置かれている。悲劇を予感させる前奏曲とともに、よたよたとしたヴィオレッタが現れ、石棺の上に倒れこみ、アルフレードの幻影と見る。このプロローグが前奏曲とともに、オペラの幕が上がりパーティが始まる。

この演出で一番最初に気づく特徴は、主要な登場人物以外はすべて黒い衣装で顔は黒塗りということだろう。色彩感のないステージに色彩感のないパーティ、いつもなら華やかに見えるはずのパーティが、まるで葬式のようにも見える。「乾杯の歌」も、これから始まるパーティを祝うようなムードが希薄だ。このような黒塗りの衣装・化粧は、舞台をシンプルにし、相対的に主役を浮き立たせてスポットライトを当てるような効果はある。しかし、このオペラはこんなことをしなくても、必然的にヴィオレッタ、アルフレード、ジェルモンだけに注目が集まってしまう演目だ。なんとなく屋上屋を架すような演出だが、もしパーティを葬式の空気感を漂わせることを狙ったとすれば、それはそれで効果的だったと思う。

また、宮本亜門の演出が描く登場人物も特徴的だ。ヴィオレッタはかなり破滅的な美女として描かれていて、第一幕で酒を飲みながら高笑いする表情や、第二幕ではアルフレードから離れることを決心して自分の心の苦しさを訴えるシーンでは、ジェルモンの胸倉をつかんで迫り、ジェルモンはたじたじになってしまう。絶世の美女でありながら、自らの余命の短さを直感し、時には投げやりに、時には気丈に、または破天荒に行動する。しかしアルフレードの愛情には心動かされる余地も残されていて、その葛藤が表出したのが「そはかの人か〜花から花へ」なのだ。宮本はたぶん、このアリアにこそヴィオレッタの本質を見出し、全幕を通してヴィオレッタの人格を描こうとしているように見えた。そして、それを演じた澤畑恵美は、喜怒哀楽の表現の幅が広く、歌唱も含めてとても素晴らしかった。拍手!

アルフレードは、他の演出と大きく変わりはなく、直球勝負の若者であることがさらに強調されている。第一幕では男爵を殴るし、第2幕でヴィオレッタが家財を売り払っていることを知ったアルフレードの激情は尋常じゃない。さらにヴィオレッタの心変わりを怒ってフローラのパーティでヴィオレッタをなじるところでは、ヴィオレッタのスカートすら剥ぎ取ってしまうし、かなり暴力的な人物カモ。樋口は、第一幕で音程にちょっと不安を感じたけど、輝かしい美声が美しく、感情表現も豊か。

その父親であるジェルモンは、一般的には常識をわきまえた(常識に囚われた?)説得力のある人物として描かれることが多いけど、宮本の演出では、ヴィオレッタの怒りには後ずさりし、どこか軽さが漂う。あえて軽い声質のバリトンを選び、ジェルモンの歌が持つ説得力をあえて希薄にして、その上でヴィオレッタに息子とのとの別れを迫るシーンでは札束を見せつけ、それを投げつける演出を見せた。人格者として描かれることの多いジェルモンとしては、異色の演出だ。個人的には、もし宮本演出のアルフレードが年齢を重ねてジェルモンと同じ立場になったら、たぶん血は争えないと思うようなことになるのではないか、・・・根拠は特にないが(爆)そう思った。

オケの東京フィルは好演。しかし全体的にテンポが速すぎで、歌手の呼吸とあわないところも散見されたのがザンネン。

こういう舞台は嫌いじゃないし、宮本亜門の演出も見ごたえがあるものだったと思う。でも、ちょっと凝りすぎという気がしないでもない。この演出で良くわからないのが、第一幕と第三幕で置かれていた動かないエスカレーター。あれは天国へのエスカレーターで、第3幕で天国への道を示すために照明があてられたのかなぁ・・・とも思えなくもないけれど、結局、あのエスカレーターは動くことはなかったのだ。救われないヴィオレッタの魂は何処に? ナゾは謎のまま、残ってしまった。

posted by のら at 23:13| Comment(0) | TrackBack(1) | opera