2009年04月05日

「ワルキューレ」@新国立劇場 (4/3初日公演)

4月3日は、先月の「ラインの黄金」に続く「ニーベルングの指輪」のチクルス公演のつづきで、第一夜「ワルキューレ」だ。ホントは12日(日曜日)の公演を会員向け優先発売で申し込んでいたんだけど、今回のワルキューレは休日公演が1回しかないために申し込みが集中したらしく、ワタシはあえなく落選、やむなく休暇をとって初日の公演を見に行ったというワケ。今回は、な・なんと2万円近く払ってA席を購入し、2階正面1列目を確保。適度な高さがあって、すごく見やすい!

さて、前回、このワルキューレが上演されたのは2002年3月のこと。その時のワタシのHPを見ると、A・Bキャストを合わせて3回も見に行っているのだが、記憶というのは薄れ行くもので(爆)、7年もたつと前回の演出のことを忘れていて、意外と新鮮な気持ちで見ることができた。それにしても5時開演で、終了は10時半、・・・新国立劇場の椅子は座り心地がイイとはいえ、さすがに5時間半は長かった。では、「ラインの黄金に続いて、7年前のメモを引用しつつ・・・。

 まず特筆するべきは、昨年の「ラインの黄金」で話題になったキース・ウォーナーの演出である。今日の段階では、あまりネタバレしないほうが良いと思うが、ちょっとだけ(^_^;)。多くの場面でヴォータンの赤い槍が効果的に用いられ、ストーリーを操っている意図が明白にされている。特に第一幕のフンディングの家のトネリコの木は、ヴォータンの巨大な槍そのものだし、第2幕でヴォータンが地図に刺す3本の槍が、地図の上を逃避する兄妹のシーンでも効果的に用いられる。ブリュンヒルデの登場シーンは爆笑モノ(まだヒミツにしておきます)だが、意図はよく解らない。度肝を抜かれるのは第3幕冒頭で、ワルキューレたちの「職業」設定は、きっと誰もが驚かされるだろう(これもヒミツ)。ある意味で「ラインの黄金」以上にアイデアが満載で、すべての幕でどの場面でも斬新な趣向が凝らされている。その趣向も場当たり的な感じはなく、「ラインの黄金」からの一貫したポリシーのもとに計画されているのは一目瞭然である。ワタシ的に唯一不満だったのは第3幕のヴォータンとブリュンヒルデの別れのシーンで、ここはアイデアの凝らしすぎ。幼児退行的な小道具を用いて、ブリュンヒルデを鉄板焼きにする必要はないのではないか?(^_^;) 別れの情感が削がれてしまったと思うのはワタシだけだろうか。。(02/03/26)

ここでまだヒミツとしているブリュンヒルデの登場シーンは、子ども用の木馬のおもちゃ=グラーネに乗って登場というもの。ヴォータンの赤い槍は、冒頭のフンディング家を貫くオブジェとして登場し、この兄妹の近親相愛のストーリーは映画監督たるヴォータンによって脚本が書かれていることを示している。また第二幕第一場でも、ヴォータンが地図上に打ち込んだ3本の小さな槍が、第二場ではステージの床一面に広げられた大きな地図上で、HUNDINGHUTTE(フンディングの家)、NEIDHOHLE(ファフナーが大蛇に変身している洞窟)、WÖLSUNGEN(ヴェルズング族=ジークムントとジークリンデ)を示すのだ。

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そして、下記は、7年前に3階の公演を見終わった後に書いたもの。今回、読み直してみても当時の感想がそのまま当てはまる。

私はどちらかと言うと鈍感なほうなのかもしれないが、1回見ただけでは演出の意図がはっきりとは掴めず、2回、3回と繰り返してみることによって新たな演出の側面が見えてきて、それぞれの回で新しい発見があって面白かった。そして私が見たキース・ウォーナーの演出は、表面的には非常に斬新だけど、内容的には「保守的」と言ってもいいほど「リング」の筋書きに忠実だろうと思った。私の知り合いでも、初めて「リング」を見た人もいたのだが、そのいずれもが斬新だとは言いつつも、違和感なくこのストーリーに馴染んでいたようである。

例えば、第1幕でジークリンデが性的な夢を見て身もだえし、眼が覚めて睡眠薬を飲もうとしていたら、そこへジークムントが入ってきて、それを隠してしまう。結局、その睡眠薬は、フンディングに飲まされることになるのだが、このあたりはワーグナーのト書きには無い演出かもしれない。しかし、のちのちのストーリーへの布石が組み込まれた、違和感のない導入部である。人によっては過度に説明的という向きもあろうが、私はそうは思わない。

何よりも面白かったのが、やはりワルキューレの設定であろう。看護婦?医者?いや私は遺体処理人のような設定に近いと思ったのだが、いずれにしても、ストレッチャーを馬に見立てた演出とあわせ、これほど斬新でありながら、誰もが納得できる設定が他にあるだろうか!!!戦場で死した勇者を集め、ワルハラに集める仕事の設定を、現代の職業にダブらせるとしたらこれ以上に適当な役割があるだろうか。

今回の演出で特徴的だったのは、デフォルメされたスケール感である。フンディングの家が巨人の家のようにデフォルメされたスケールであり、そして兄妹が逃げるのが縮小された地図の上。第2幕のブリュンヒルデが乗って登場するグラーネは子供用の木馬だが、第3幕の父娘のやり取りのシーンでは巨大な馬のモニュメントとして登場する。そして神性を奪われたブリュンヒルデが眠る「燃えるベット」や目覚まし時計は巨大となり、その時には神性を奪われたであろうグラーネも小さくなっている。このデフォルメされたスケール感が何を表しているか、その解釈は今現在、私たち一人ひとりの感性にゆだねられているのだが、私はそれぞれのシーンで登場する人物の相対的なスケール感を表しているものだろうと感じた。

また、ブリュンヒルデを幼児的に描く場面があったが、これは第2幕冒頭と、第3幕後半で、いずれもヴォータンとの対比の中でそのように描かれている。その一方で、第2幕後半、ジークムントにワルハラにくるように諭すシーンでは、ブリュンヒルデから幼児性を感じることは出来ない。このようにウォーナーは、デフォルメされたケール感や強調された幼児性を、相対的な人間関係のシンボルとして描こうとしていたのではないか。例えば、ジークムントから見たらブリュンヒルデは神々しい存在でも、ヴォータンから見たら、ブリュンヒルデは「幼児」なのである。このようにすべての関係を相対性の中でデフォルメして描くことによって、絶対的存在に思われがちの神々の存在も相対的ななる。少なくとも、私が見た「リング」の中で、ヴォータンをはじめとした神々がこれほど悩み、打ちひしがれ、嘆く・・・つまり「人間的」に描かれた例は知らない。

今回の「ワルキューレ」の中でウォーナーが込めたメッセージが、私が受け取ったものと同一かどうかは自信はない。しかし、来年の「ジークフリート」、再来年の「神々の黄昏」の中で、その意図は明らかになるだろう。その時が来るのが、実に楽しみである。(02/04/09)

今回の公演の歌手も、とても素晴らしかった。ジークリンデ、ブリュンヒルデともに、尋常ならざる声量があり、ドラマチックな表現に長けている。ただし、両者とも声質が似ていて・・・よく聴くとジークリンデのほうが暗めの声なんだけど、キャストを入れ替えても違和感がないかも。どちらも表現は一本調子になってしまう面もあって、その点の評価は分かれるかも。

フンディングも、非常に威厳があって迫力がある。どう考えてもヴォータンよりも強そうな声なのが奇妙な違和感を生み出していて面白いのだが(爆)、7年前のキャスティングでもヴォータンは理性的で実業家的な雰囲気をかもし出していた。ヴォータンに軽めの声を選んでいるのは、演出家の意図的なものだと考えるほうが自然だろう。ジークムントは声量的には若干不足気味なのだが、ルックスがカッコ良く、輝かしい声もイイ。

エッティンガー指揮の東京フィルも熱演。弦楽器の音の厚みや、金管、特にホルンの音程などで不満がなくはなないが、これだけの長丁場をテンション多角演奏したことは高く評価していいと思う。

今回の再演は、見に行くのは1回だけ。初演から7年後に「ワルキューレ」を見直してみても、やはりぜんぜん古くなっていない。この先も、この演出は、新国立劇場の看板プロダクションとしていき続けていくのではないかと思う。

【ジークムント】エンドリック・ヴォトリッヒ
【フンディング】クルト・リドル
【ジークリンデ】マルティーナ・セラフィン
【ヴォータン】ユッカ・ラジライネン
【ブリュンヒルデ】ユディット・ネーメット
【フリッカ】エレナ・ツィトコーワ
【ゲルヒルデ】高橋知子
【オルトリンデ】増田のり子
【ワルトラウテ】大林智子
【シュヴェルトライテ】三輪陽子
【ヘルムヴィーゲ】平井香織
【ジークルーネ】増田弥生
【グリムゲルデ】清水華澄
【ロスヴァイセ】山下牧子
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指 揮】ダン・エッティンガー
《初演スタッフ》
【演 出】キース・ウォーナー
【装置・衣裳】デヴィッド・フィールディング
【照 明】ヴォルフガング・ゲッベル

posted by のら at 01:58| Comment(0) | TrackBack(2) | opera

2009年04月06日

インバル&都響のベートーヴェン@東京芸術劇場

今シーズンの都響「作曲家の肖像」シリーズは大人気で、会員券は売り切れ状態。4月4日の会場も、ほぼ満員状態。これはひとえにインバル効果だろう。今シーズンの「作曲家の肖像」シリーズは、5回中3回もインバルがタクトをふるうのだ。ある意味、定期演奏会以上の力の入れようである。これで人気が出ないはずがない。ワタシがこのシーリーズの定期会員に復帰したのも、まさしくインバル効果である。

指揮:エリアフ・インバル
ピアノ:ゲルハルト・オピッツ

《ベートーヴェン》
序曲「コリオラン」op.62
ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.19
交響曲第3番「英雄」 変ホ長調 op.55

しかし、インバルがホントにベートーヴェン向きの指揮者かという点については、かねてから不信感?を持っていた。彼は後期ロマン派のスペシャリストとしては高く評価されているけど、古典の演奏を聴いた記憶はほとんどないし、彼の傾向から考えてベートーヴェン以前の古典に向いているとは到底思えなかった。そして、このベートーヴェン・プログラムを聴いて思ったのだが、どうも適性に乏しいのではないかということだ。

演奏のレベルとしては、都響は最善を尽くしたと思う。あの弦楽器の厚みと光沢感を出せるオケは、たぶん国内には都響のほかにはない。その他のパートも、ほとんど文句はない。もっともffの限界に近づくと、急にリミッターがかかってしまうように感じるあたりは、オケの機能性の限界点なのだろうけど、それを除けばすばらしいレベルだと思う。

しかしインバルの「エロイカ」は、おのおのの楽想やフレーズが細かく切れてしまうような感じで、音楽的な繋がりが乏しい。後期ロマン派の曲ほどではないけれど、ところどころで加えるデフォルメがかなり強烈な違和感を生み出していることも指摘しておく必要がある。力演ではあるけれど、音楽的な美しさや、音楽に身を任せるような陶酔感はほとんど感じることができなかった。むしろ退屈と言ったほうがいいかもしれない。まぁ、インバルはもともとこういう傾向の指揮者なので、あらかじめ予想はしていたけれど、やっぱりインバルはインバルなのだ。

こう書くとインバルを貶しているように感じるかもしれないが、インバルはもともとハズレの演奏が多い指揮者だ。彼の場合、10回中1〜2回程度の当たりがあれば良いと思っているのだが、その当たりが超巨大なホームランを生み出すバッター、・・・じゃなくて指揮者なのだ。

なおピアノ協奏曲のオピッツは、初めて聴いたピアニストだが、とてもスバラシイ。ピアノの音色の真珠を思わせるような有機的な光沢感の美しさ、速いパッセージでも雑にならずに、きちんと分離して聞こえるテクニック、正統的な表現力、・・・・チェルカスキーとはタイプは違うけど、こういうピアニストを今まで知らなかったとは!!ぜひ、また聴きたいピアニストだ。

posted by のら at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | orchestra-TMSO

2009年04月13日

E-620 de ラフモノクローム@川崎大師

このところ初夏を思わせる陽気がつづいているけど、週末には冬の間お休みしていた原付のエンジンをかけて、ひさびさにバイクでお散歩モード。目的もなく走っていて、普段は行かないショッピングモールを経由して辿りついたのが川崎大師。下町情緒が残る町並みが色濃く残っている場所だ。こんな場所に似合うのは、E-620のラフモノクローム。

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さすがにコントラストが強すぎ!これじゃ8月の盛夏だ。 だけど、このフィルム的な粒状感は懐かしく感じる。むかしPlus-XやTri-Xを使っていた人だったら、このコントラストの強さは懐かしいハズ。

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ちょっと日差しが隠れる場所だと、ちょうどいい感じのコントラストになる。

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寺の境内は、いつでも縁日モード。

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亀の甲羅干し。個人的には、アートフィルタのパラメータは不要だと思っているんだけど、さすがにラフモノクロームだけはコントラストの強さを設定したくなる。

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参道には、達磨を売る店が多い。一部の店では、写真を撮ってると怒られるので要注意(爆)。

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いかにも下町的な京急大師線の東門駅。

アートフィルタは、いつもの見慣れた風景を、ちょっと非日常的な景色に変えてくれる。個人的には、モードはころころと切り替えないで、「今日はラフモノクローム」とか「今日はポップアート」とか決めてスナップを撮るのがおすすめです。

posted by のら at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | Photograph

2009年04月26日

瀬尾由布子 @品川シーサイド

久々の更新になった今日はポトレ。場所は品川シーサイド。いつも台場に行くときは臨海線で行くので品川シーサイドの駅は通っているんだけど、この駅の改札口を出るのは初めて。シーサイドと言うと天王洲アイルみたいなイメージを勝手に描いていたんだけど、・・・・ぜんぜん違う。運河沿いの遊歩道くらいなんだけど、・・・・あまりきれいじゃないし、正直、撮影意欲を掻き立てられるような場所とは言いがたい。しかも風が強いし、太陽はすでにテッペンに上がっていて光線状態はイマイチだし、・・・。でもモデルが良かったからそれで良いのだ!?

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今日は用事があったため、撮影時間はほんのわずか。そんなワケで今日は一枚だけ。珍しく、かなりイジッテイマス。追って書くけど、オリンパスのカメラの良い点、悪い点については、再確認しました(汗)。

このところ突発的に発生した仕事が忙しかった上に、仕事中の事故で骨折し・・・とは言っても大した事はなかったけど、ネタはあっても更新するまでに至らなかった。今日は日差しが強くて、もう夏の気配を感じる。ユウさんはGWには南の島に行ってダイビングなどを楽しむみたいだけど、ワタシもなんとかマイレージで飛行機のチケットの予約ができそうなので、夏には波照間島と西表島に行く予定。まだ2ヶ月も先の話だけど・・・・。

posted by のら at 22:56| Comment(2) | TrackBack(0) | Photograph-Portrait

2009年04月29日

2001年宇宙の旅、そして「惑星」へ 〜小泉&都響 and 秋山&東響〜

4月28日の金曜日は久々にコンサートで、都響のサントリーホール定期演奏会。名曲プログラムということもあって、会場はほとんど満員状態。

指揮:小泉和裕
ヴァイオリン:エリック・シューマン

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」 op.30

で、最初にヴァイオリン協奏曲。豊かな音量のヴァイオリニストで、温かみのある音色も美しいんだけど、表現力という点ではまだまだ向上の余地がありそう。やや速めのテンポで演奏していくので、若々しさが前面に出てくるんだけど、ブラームスのこの極の持つ滋味豊かな味わいがほとんど感じられなかった。伴奏もちょっと荒めな部分があって、ちょっと不満が残る演奏だった。

しかし後半の「ツァラトゥストラ」はスバラシイ演奏だった。壮大なスケール感で語られることが多いこの曲だが、ナマで聞くと室内楽的に美しいパートが随所に現れるので、意外と奥行きが深い曲であることに気がつく。R・シュトラウスが得意な小泉らしく、丁寧なアンサンブルで磨きこまれた演奏を聴かせてくれた。

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そんな「2001年宇宙の旅」を聴いた翌日、4月29日はMUZA KAWASAKIの名曲シリーズで秋山&東響を聴いてきた。会場は満員!

出 演 指揮:秋山和慶
ピアノ:菊池洋子
スッペ:「詩人と農夫」序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番
ホルスト:組曲「惑星」

とは言っても、前半のプログラムは、午前中の用事の疲れもあって爆酔・・・(汗)。ところどころの断片的な記憶によると、・・・菊池洋子は音色が美しく、指が良く周るピアニスト。今度は体調が良い時に改めて聴いてみたい。

そして後半は、前日に続いて宇宙プログラム(えっ?)。「惑星」をナマで聞くのは久しぶりだなぁ。それにしても、秋山が振るときの東響は、アンサンブルが数ランク、向上する感じがする。この日の「惑星」も、いつもの東響よりもずっと聴き応えのある演奏を聞かせてくれて大満足。女声合唱は、シンセサイザーにサンプリングされた音をスピーカーから流すのは最近の流行なのか? ラストは、音楽がピアニッシモに近づくにつれて照明が落とされて、最後は指揮者のみが青い照明で照らされ、そして全照明が落とされた。太陽系を抜けて、漆黒の宇宙に抜けたという設定なのだろうか。こういった演出ははじめて見た。

posted by のら at 22:55| Comment(0) | TrackBack(0) | orchestra