2005年05月01日

沖永良部を周る(第4日目)



 午前
9
50
分、宿の
2
階の部屋から階段を下りてきたら、ちょうどタクシーの運転手が迎えに来てくれたところだ。天気は晴れているけど、
薄い霞がかかったような感じが気になる。ただしまず今日の予定の確認で、金額は
7
時間で
13,000
円ということになった。さすがにタクシーだとたくさんの場所を効率的に周ってくれる。島を和泊から時計回りに一周したので、
周った場所を箇条書きにする
(^_^;)



 




・タラソえらぶ(天気が良いうちに海岸を見て周りたいということでパス)




・川尻岬を眺める。




・ウジジ浜(意外とスケールがない)




・知名市街と知名港(和泊の商店街と同じくらいの規模。防波堤がとても巨大だ。)




・フローラルホテル(港のすぐ前の国民宿舎。なかなか豪華である。)




・フローラルパーク(運動公園みたいなところ。みどりがとてもきれい。)




・屋子母海岸(すぐ近くに民宿やこもがある。小さいけど、とてもきれいな海岸。)




・昇竜洞(全長
3,500m
の巨大な鍾乳洞。観光で歩けるのは
600m
。)




・大山の展望台(島で一番高いところ。民宿やこもに宿泊している人に話しかけられる。)




・昼食の弁当(おにぎり
370
円を買ってみたら大東ランチ。ゴーヤ
3
100
円にはびっくり。)




・田皆岬(緑の芝生と紺碧の海の色のコントラストが素晴らしい。絶景。)




・沖泊海浜公園(真っ白な砂浜がきれいな海岸。たぶん島で一番大きなビーチ。)




・内喜名漁港




・越山公園(展望台、和泊で一番高いところ)




・ワンジョビーチ(ここもきれいなビーチです)




・伊延港(西郷隆盛が島流しで上陸した港)




・フーチャ(海がもっと荒れないと潮はあがらない)




・フーチャランド王国(周りは荒野。ここに泊まるのは勇気が要りそう。)




・沖永良部空港




・国頭の日本一のガジュマル(学校の第一回卒業生が植樹したガジュマル。凄く立派。)




・笠石海浜公園(すぐ近くの百合の花がきれいです。)




・タラソえらぶ(
4
1
日にオープンしたばかりの健康センター)



 




さて、タクシーの運転手さんと話をしたのだが、この島にはいまでもノロやユタがいるらしい。ただし、
もうみんな
80
歳を超えて、後継者のことを考えるとこの先はどうなるか、とのことだった。かつての風葬が行われたあとがいまでも残されているが、
今ではもちろん火葬である。墓は日本式のものが多いけど、どれもきれいに手入れされていて、週末ごとに家族親類がくるらしい。
風習は奄美風の色彩もあるけど、サンゴ礁の風景や平屋根の建物、ところどころに見える赤瓦の屋根は沖縄的。
奄美と沖縄のクロスオーバーしている地点が、この沖永良部なんだろう。



宿に戻ったら、午後
5
時前。洗濯をして、夕食に降りていったら、今日は客が多い。与論から来たという二人の女性と、一人旅の男性がふたり。
この宿の孫3人も加わって、ちょっと賑やかな夕食になった。

posted by のら at 23:22| Comment(0) | Trip-Amami

2005年05月02日

沖永良部から与論島へ(第5日目)



 沖永良部島に来てから
3
日目。昨日の観光タクシーで島を一周したので、予定よりも一日早く、正午出港予定のフェリーで与論島に向かうことになった。
船が来るまでの時間は、とりあえず何もやることがない。朝は
8
時半過ぎに起きて朝食、そして部屋に戻って昨日までの旅の記録をまとめていたらいつの間にか
11
時くらいになってしまった。現金も心もとなくなっていたので、GWの合間の今日のうちにお金をおろしておきたかった。
宿のご主人に郵便局の場所を尋ねて、町に向かう。郵便局まで歩いて
10
分、今回はすぐに郵便局を見つけて、
ATM
で現金を補充する。そして船の中で食べる昼食用にお気に入りになった「紅イモあんぱん」
と飲み物を買っていたら
11
20
分、宿に戻ろうと歩いていたら、遠くに入港してきたフェリーが見えてきた。時間通りの入港だ。別に急ぐ必要はなかったんだけど、
船が見えると気がせいて来る。オマケに雨が降ってきた。小走りで宿に戻って、まとめておいた荷物を持ち出した。
そしてご主人が港まで送ってくれて、別れを告げる。南の島の民宿は、みんなとても親切だ。この宿も例外じゃない。



 




 フェリーは「あかつき」という名前で、徳之島→沖永良部で乗った「なみのうえ」と同タイプ。ただし「あかつき」には「なみのうえ」
に装備されているエスカレーターがないので、この「あかつき」の方がちょっと古いのかもしれない。そして「与論」
行きの乗客が案内された船室は
3
階の先頭部分だが、大部屋にも関わらず客数は極めて少ない。なんか寂しい雰囲気が漂う。



 



12
時、フェリーは時間通りに和泊港を出港した。空はどんよりと曇っていて、沖永良部島がだんだん遠くなっていく。
与論までは
1
時間
40
分の予定だ。先日よりも海は荒れていて、揺れが大きく感じる。船酔いするほどではないものの、まっすぐ歩くのが難しく感じる。
船内探索はあきらめて、客室でねっころがっていることにした。何も考えずに、ぼうっと天井を眺めている。こういう時間も嫌いじゃない。
出港後
1
時間もすると、波間に島影が見え始める。与論島は私が想像していたよりも大きい。もちろん徳之島や沖永良部島より、
ずっと小さい島なんだけど、島の大きさが実感できるようになると、この島を歩いて周るのは難しいなと感じるようになってきた。
いつのまにか天気は快復して、薄い雲間から日差しすら差し込んできた。船は、予定よりも若干遅れ、
2
時ちょっと前に与論港に入港した。船を下りると、この島の宿である星砂荘のワゴン車が迎えに来てくれていた。



 




この船から星砂荘の送迎バスに乗り込んだのは、全部で
4
人。ワゴン車の中で流れていたラジオからは「今日、沖縄地方の梅雨入りが発表されました。例年よりも
6
日早く、作年よりも
3
日早い梅雨入りです。」というニュースが流れると、「えーっ」という声が漏れる。例年、
沖縄地方の梅雨入りは
GW
明けと相場が決まっているのだが、この時期の旅行者としてはきわめてタイミングが悪い入梅である。
そしてワゴン車は港から宿に向かって走り続ける。車窓から車内に流れ込む空気は、これまでの島にはなかった匂いが混じっている。
これは畜産業独特の匂いだ。それに加え、小さい島なのに関わらず農業が盛んだ。
斜面の小さい面積の畑でもサトウキビやイモの栽培が行われている。与論島というと観光の島というイメージを持っていたが、
ここは決して観光だけの島ではない。きちんと地に足をつけた産業も根付いているようだ。



 




坂道が多い島内を走ったバスは星砂荘に到着した。宿と島の説明をしてくれて、
2
階の部屋に入る。建物は新しくはないけど、水周りなどはきちんと手入れが行き届いている。この手の民宿にしては珍しく、
部屋の中に洗面台がついている。トイレと風呂は共用だが、無料のエアコン、テレビ、タオル、歯ブラシ、浴衣も用意されている。
これで冷蔵庫があれば完璧だったのだが、そこまで求めるのは無理がある。この値段で、この設備なら納得だろうと思う。



 




しばらく休憩した後、とりあえず宿から近い赤崎海岸、そして大金久海岸に足を伸ばしてみる。赤崎海岸は、
宿から坂を下って
10
分くらいの美しいビーチ。大金久海岸は干潮のときに百合が浜が現れることで有名な与論島を代表するビーチで、
赤崎海岸から歩いて
15
分くらいのところにある。さすがに海がきれいなことで有名な与論島だけのことはある。海の透明度はすごい。これで青空が広がっていれば、
さぞかし絵になるのだろうが、残念ながら薄曇。大金久海岸からの帰りの登り道では雨もちらついてきた。
 



 宿に戻ってシャワーを浴び、午後
6
時半から夕食。テーブルに並んだ料理の数によると、宿泊者は
20
人くらいいるようだ。そしてメニューは奄美を代表する料理、「鶏飯」だ。スープの味がちょっと薄めだったけど、それはそれで美味しい。
部屋数が多い民宿だとあまり料理は期待できないものだが、ここは良いかも。

posted by のら at 23:25| Comment(0) | Trip-Amami

2005年05月18日

怒涛の日々

 沖縄から帰ってきたのが5月8日の日曜日。翌日から仕事に出ていたワケだが、
南国の余韻に浸る暇もないほど怒涛の日々が続いてしまい、ドタバタの毎日だ。例年5月はこんな感じなので、仕方はないのだが。


 さて、東京に戻って、ささやかな余暇の時間には写真を整理していたんだが、沖永良部島の写真はなかなかイイ!
現地では曇りがちな天気だったんだけど、写真で見ると青空が広がっていてさわやかな感じ。掲載した写真は、沖永良部島の名産品の
「永良部ユリ」、・・・一般的な名称は「てっぽうユリ」。


 残念ながら与論島〜沖縄は、天候の関係でいい写真が極めて少ない。梅雨に入ってしまって、
晴れていてもモヤッとした霞がかかってしまい、南国らしい空気感が出ていないのである。太陽が出ていないと海はきれいに見えないし、・・・。
ホント、南の島の写真は、決定的に天気に左右されるのである。やっぱ梅雨が明ける6月下旬以降に行くのが正解かも。


 インターネットでの価格比較サイトの先駆けである価格.comが5月15日以降、悪意あるサイト攻撃にあって閉鎖になっていることは、
一般紙でも報道された「大事件」になってしまった。
5月11日〜15日に価格.comにアクセスした人はウィルス感染の恐れがあるとのことで、
念のため調べてみたら私のコンピュータもウィルスに感染していた。実は私のコンピュータがウィルスに感染したのはこれが初めてである。
このウィルスは特定のゲームソフトを使用していないと「発症」しないので、私のところは全く実害はなかったのだろうと思うけど、
価格.comにアクセスすると対策方法が記載されているので、
みなさんも念のためチェックしてみたほうが良いかも。

posted by のら at 22:37| Comment(0) | Monologue

2005年05月19日

ジャン・フルネが指揮者を引退!

 報道によると、
ジャン・フルネは、今年12月の都響定期を最後に指揮者を引退することになったらしい。びっくり&残念だが、
健康上の理由で演奏会をキャンセルすることが増えてきているので、潮時なんだろうなぁとは思う。


 フランス音楽では他の追随を許さないセンスを光らせ、水彩画的な色彩感、繊細な筆致で描かれる音楽世界は、
他の指揮者では得がたいものだった。特に都響とのコンビでは数多くの名演奏を残してきたフルネが、
最後の演奏会に選んだのが都響の12月の定期演奏会である。これは必ず聞いておきたいコンサートだ。

posted by のら at 21:32| Comment(0) | orchestra-TMSO

2005年05月20日

デプリースト都響常任指揮者就任

 5月の都響定期は、デプリーストの常任指揮者就任披露演奏会である。ベルティーニが死去し、フルネも引退を発表、
今後の都響の看板を背負って立つのはこのデプリーストの他にない。そのスタートに選曲されたのはマーラーの交響曲第2番。
当日券売り場には列が出来て、客席は満員になった。


 開演時間が近づき、ステージに団員が席に着き、コンマスの山本がチューニングを指示する。
そしてデプリーストが電動車椅子でステージに現れ、スロープから指揮台に上り、客席に挨拶する。そしてオケのほうに振り向くと、
電動車椅子は高く上がる。これは指揮者用の特注の車椅子なのであろうが、よくぞこの小さい車椅子にこれだけの機能を詰め込んだものである。
デプリーストは両手を広げ、音楽が鳴り始めた。


 デプリーストが指揮をするとき、都響の音は大きく変わる。もともと都響の弦楽器は、硬質で透明感のある音が魅力だが、
デプリーストの指揮だと線が太くなり、銃身がやや低くなる傾向がある。この日の都響も、そのデプリーストの特徴が現れていたが、
この音色は都響ファン暦が長ければ長いほど好みが分かれるかもしれない。そしてデプリーストの描き出すマーラーは、まさしく「分裂的」だ。


 いわゆるマーラー指揮者と呼ばれる人、・・・
たとえばバーンスタインやベルティーニが振ったマーラーだと分裂的な楽想を見事に一本の糸で紡ぎあげ、ひとつの音楽像、
というか精神性を描き出す。しかしデプリーストのマーラーは、分裂的な楽想を「分裂」的に描き出す。
楽想が変わるところでひとつのストーリーがピリオドを打ち、また新たな楽想に移るのだ。マーラーの音楽を一本の糸で紡ぐのではなく、
様々な色の糸を使い、結果としてパッチワークのような音楽を描き出す。
都響は日本のオケの中ではもっとも豊富なマーラー演奏の経験値を持っていると思われるけど、
たぶんその40年の歴史の中では経験したことのないマーラーだったと思われる。


 それゆえだろうか、個人的にはやや退屈なマーラーだった。確かに都響は若干の粗はあったとしても懸命な演奏だったと思うし、
ダイナミックレンジの広さも存分に感じさせてもらったのだが、結果的にそれ以上のものはなかった様な気がするのである。
音楽の統一感が乏しく、不連続性が集中力を削いでしまった。カーテンコールは大いに盛り上がり、ブラボーの声も多かったけど、
私は音楽的には満足できなかった。あの奇跡的なベルティーニ&都響のマーラー9番と比較するのは酷かもしれないが、
あの水準には遠く及ばないのである。


 たぶん、デプリーストは私が期待するようなマーラー指揮者ではない。しかし、
今後のスケジュールを見るとショスタコーヴィチなどは大いに期待してよいのではないだろうか。
デプリーストが都響に新たなレパートリーを加えてくれるのを期待したい。

posted by のら at 23:48| Comment(0) | orchestra-TMSO